「石田を耕す」101歳天寿全う
これが95歳の作品か。漲(みなぎ)る瑞々しさはどうだろう。心技体、現役ばりばりではないか。
『犢(こうし)』とは『牛のこども』の意味だそうな。生後3カ月の兄弟牛を描いた『犢』という作品があった。絵のキャプションに奥村土牛95歳の作(1984年=昭和59年)と書かれていて、いたく驚嘆・脱帽であった。
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東京・広尾の山種美術館で「生誕120年 奥村土牛」展(2010年4月3日~5月23日)を観る。2009年に生誕120年を迎えた日本画家、奥村土牛(1889年―1990年)を記念して、その人と芸術をたどる展覧会で、約70作品が展示されている。
東京・京橋の1889年生まれというから明治22年。没年は1990年だから平成2年となる。明治から、大正、昭和、そして平成と生きて101歳で天寿を全うした。16歳で梶田半古塾に学ぶが、院展入選は38歳と遅咲きだった。
号の「土牛」は、父親が寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられた。まさに土牛のように、「石ころだらけの荒れた田を粘り強く耕し、美田に変えた」努力の人生だった。
草球kusatamaの心に残った作品
・聖牛:1953年作・54歳
・那智:1958年作・59歳
・鳴門:1961年作・62歳
・富士宮の富士:1982年作・93歳
・題醐:1972年作・71歳
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『山種』というのは、創設者の山崎種二から命名されたとか。ご存知の人には、釈迦に説法かもしれませんが……。
土牛95歳の作品『犢』に、我が身の未熟さ・青さを思い知りましたな。
※写真は代表作『題醐』
2010年5月18日観覧
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