2011年11月3日木曜日

ゴヤ展:国立西洋美術館

「着衣のマハ」は妖艶でした。
 スペイン美術の巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)の展覧会「ゴヤ 光と影」(20111022日~2012129日)が、東京・上野の国立西洋美術館で開かれている。スペイン国立プラド美術館所蔵の油彩画、素描など72点と、西洋美術館所蔵の版画約50点が展示されている。「裸のマハ」と対をなす美術史上の傑作といわれる「着衣のマハ」は40年ぶりの来日。


着衣のマハ=1800―1805年頃
「マハ」とは「小粋な女」という意味なんですな。本展で初めて知りました。描かれている女性の名、固有名詞だと思っていましたが……(ポリポリ)。
 両腕を頭の後ろに組みソファに横たわる女性。こちらを向いて微笑みかけています。なんと妖艶な様でしょう。

 ほぼ同じ構図の「裸のマハ」を描いてから数年後の作品だそうな。当時のスペインでは、厳格なカトリックの影響が強くヌードはご法度だったのですな。西洋絵画で初めて陰毛を描いた絵はきっとセンセーショナルな話題となり、ゴヤは裁判所に何度か呼び出され絵の説明を求められました。さしずめ日本でもあった「芸術か猥褻か」の裁判でしょうかな。
 
・フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)
 1746年スペイン北東部サラゴサの近郊フェンデトドスの生まれ。十代でローマでの絵の修業をめざしますが、失敗しマドリードに出る。1775年に王立タペストリー工場の下絵描きとして働き、1786年国王カルロス4世の宮廷画家となる。
40歳代で画家として最高の地位と名声を得るが、1792年に病から聴力を失う。1807年ナポレオン侵攻に遭い、スペイン社会は戦争と混乱に見舞われる。
78歳で自由主義者弾圧を避けフランスに亡命。1828年、ボルドーで死す。82歳。
 

 さて「着衣のマハ」ですが、描いたのは耳が聴こえなくなった後のことでした。40年ぶりの来日。当方の入社時でした。どうでいいことです(笑)。前回は「裸のマハ」も同時公開だったそうです。並べて観たかったなぁ。
 ゴヤは「裸のマハ」を描いて後、なぜマハに服を着せたのだろうか。

ゴヤの作品を時系列に展示されています。ちょっとばかり難解ですが、本展の構成は以下になっています。
1かくある私ゴヤの自画像
2創意と実践タピスリー用原画における社会批判
3嘘と無節操女性のイメージ:〈サンルーカス素描帖〉から私室の絵画へ
4戯画、夢、気まぐれ〈ロス・カプリーチョス〉の構想段階における自由と自己検閲
5ロバの衆:愚鈍な者たち〈ロス・カプリーチョス〉における人間の愚行の諷刺
6魔物の群れ〈ロス・カプリーチョス〉における魔術と非合理
7「国王夫妻以下、僕を知らない人はない」心理研究としての肖像画
8悲惨な成り行き悲劇への眼差し
9不運なる祭典〈闘牛技〉の批判的ヴィジョン
10悪夢〈素描帖C〉における狂気と無分別
11信心と断罪宗教画と教会批判
12闇の中の正気ナンセンスな世界の幻想
13奇抜な寓話〈ボルドー素描帖G〉における迷妄と動物の夢
14逸楽と暴力〈ボルドー素描帖H〉における人間たるもの諸相
2011111日観覧

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