2011年10月25日火曜日

方広寺鐘銘事件:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第41回=姉妹激突!)

戻ったら伝えるがよい。

豊臣をおろそかにするようなことなど、

家康は毛ほども思わぬ。

案ずるにはおよびませぬと、な。

家康(北大路欣也)は、淀の使者である大蔵卿局(伊佐山ひろ子)に伝えた。



方広寺は豊臣秀吉により京・東山に建立された天台宗山門派の寺で、慶長元年(1596年)の地震により倒壊した。秀吉の死後、遺志を継ぎ秀頼(太賀)と淀(宮沢りえ)は寺の再建に乗り出していた。

慶長19年(1614年)。大仏殿が竣工、鐘の鋳造が終わり大仏開眼供養の日取りが決まった。ところが、7月家康から豊臣方に抗議が入る。鐘銘に徳川に対する呪詛(じゅそ)の文字が刻まれているというクレームである。

「国家安泰」「君臣豊楽」――。「家」と「康」を分断し、「豊」「臣」だけが世に君臨し栄えることを願った文字だと徳川は主張した。明らかな言いがかりである。



 豊臣方は弁明のため片桐且元(三田村邦彦)を駿府に差し向けた。淀は非公式に大野治長の母、大蔵卿局を送った。家康は大蔵卿局に直接会い、「他意はなく、心配いらぬ」を告げたのが、冒頭の台詞。

一方、片桐且元は家康との対面叶わず、本多正純(中山麻聖)から、

・大坂城明け渡し

・秀頼の江戸参勤

・淀の人質

3条件のうち1つを承諾するようにいわれる。

 食い違う2人の話に豊臣方は大混乱。徳川の回し者と、謀反の疑いをかけられた且元は大坂城を出る。淀は要求を突っぱねた。



「方広寺鐘銘事件」に端を発し、11月ここに家康と秀頼・淀との戦い「大坂冬の陣」が始まった。



×  ×  ×



 真田幸村(浜田学)が再登場しました。幽閉先の紀州・九度山を逃れ大坂入城でした。豊臣方に味方するため、淀、秀頼の前に参上しました。鋭い眼光に赤備え。颯爽とした戦国武者ですな。


 江戸では、江(上野樹里)と福(富田靖子)の世継ぎ争いをめぐるバトルが続いていました。それにしても竹千代(水原光太)がかなりひねくれた性格になっています。3代将軍になるはずですから、きっと改心するのでしょうが、国松(松島海斗)と比べて……。問題児に成長していますな。




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