2011年10月11日火曜日

秀頼に将器を観た家康:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第39回=運命の対面)

かつては亡き父・太閤殿下に服従を強いられ、

さらに国替えされ、江戸に追いやられ、

積り積もった恨みもございましょう。

それでもなお、豊臣のため働いてくださること、ありがたく存じまする。

これからも徳川殿ともに、泰平の世を築くこと、

ともに考えて参りたいと思います。

秀頼(太賀)は家康(北大路欣也)を前に堂々と語った。



慶長16年(1611年)328日、秀頼は家康の命を受け、京の二条城で対面した。秀吉恩顧の臣、加藤清正らを引き連れての上洛。京の民衆は、熱狂的に太閤の嫡男を迎えた。さらに、家康との対面でも、その凛々しさや聡明さは発揮された。

慶長10年に、秀忠(向井理)を二代将軍に就かせると、家康は高台院(大竹しのぶ)を通じて秀頼に上洛し将軍宣下の挨拶を促すが、淀(宮沢りえ)はそれを拒否した。

以来6年が過ぎていた。家康70歳。秀頼は19歳だった。

家康はあらためて秀頼のカリスマ性・将器を脅威に感じたのだった。



×  ×  ×



 ドラマでは、秀忠は秀頼が関白になり補佐役として、天下泰平の世を作りつもりと江(上野樹里)に言いました。

淀は家康が将軍に就く際に暫定政権で秀頼に繋ぐという約束を信じていましたが、秀忠の二代将軍就任でキレました。家康は将軍職を徳川家の世襲と思い描いているので、徳川と豊臣の亀裂はさらに深まりました。争いは、方広寺鐘銘事件、大坂冬の陣、大坂夏の陣と続くのです。



 さて三姉妹の妹2人ですが、初(水川あさみ)は夫の京極高次(斎藤工)が亡くなり、常高院となりました。徳川と豊臣の関係修復に努めていました。江といえば、竹千代のあと国松、和と産み、これで25女、夫婦円満なんでしょうな(笑)。




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