2011年10月13日木曜日

川上音二郎・貞奴展:茅ヶ崎市美術館

なんと無謀な二人…築地河岸から手漕ぎボートで国外脱出を試みちゃった。
「オッペケぺー節」で知られ、日本の近代演劇の祖・川上音二郎と彼の妻で女優の貞奴の業績を回顧する「川上音二郎・貞奴展」(2011910日~1127日)が、茅ヶ崎市東海岸北の茅ケ崎市美術館で開かれている。
 音二郎没後100年、貞奴は生誕140年にあたる。二人の居宅の跡地である高砂緑地内に美術館は建っており、本展ではゆかりの着物や鏡、ブロンズ像、手紙などが展示されている。
 
×  ×  ×

*貞奴(さだやっこ=1871年―1946年)
 東京日本橋の生まれ。7歳で花街の芳町の芸妓置屋「浜田屋」の養女となり、のちに「貞奴」として座敷に出る。日舞の技芸に加え持ち前の美貌で売れっ子となり、時の総理の伊藤博文や西園寺公望ら名士から贔屓にされた。
 川上音二郎(1864年―1911年)と結婚したのは1894年だった。世情風刺の「オッペケぺー節」を歌い評判となっていた音二郎だが、2度の選挙落選で資金繰りに困り、1898年に築地河岸から手漕ぎボートで国外への脱出を試みたが、淡路島に漂着し一命をとりとめた。
 翌1899年、川上音二郎一座のアメリカ興行に同行し、座員が死亡したため舞台に立つことになった。これが日本の女優第1号といわれる。1900年にはロンドン公演、さらにパリ万国博覧会で舞台に立ち、大評判となった。
 1911年音二郎が病死した後、引退。
  福澤諭吉の娘婿で「電力王」と異名をとった実業家・福澤桃介との関係も話題となった。桃介は貞奴の初恋の人だった。桃介が諭吉に二女と結婚したため、恋は実らなかったが、音二郎の死後に長い空白期間を経て結ばれた。1920年頃二人は名古屋で同居を始めた。 
 1946年、貞奴の波乱に満ちた人生の幕を下ろした。75歳だった。

×  ×  ×

 貞奴ってモテモテだったのですね。写真をみてもすこぶる美人。周りの男がほっておかなかったのでしょう。
総理大臣の伊藤博文に公家の西園寺公望。結婚したのが近代演劇のパイオニアの川上音二郎。そして晩年は初恋の人であり「電力王」の福澤桃介と暮らすというキャリア。セレブ男性の行列ができる女性ですな。
「艶福家」というのは多くの女性に好かれる男に使われる言葉だけど、女の場合はなんていうのだろうか。
20111013日観覧

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
※こちらもクリックお願いします。

0 件のコメント: