2011年4月20日水曜日

軍師だ柴俊夫・黒田官兵衛:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第14回=離縁せよ)
和睦がなれば、
城攻めはただちに取り止め、
奪い取りました城はすべてお返しいたす、
と主は申しております。
 秀吉の名代・黒田官兵衛(柴俊夫)が織田信雄(山崎裕太)に和睦を説いた。

 天正12年(1584年)3月。佐治一成(平岳大)の主君・織田信雄と羽柴秀吉が対立。信雄は徳川家康と同盟を結び、秀吉軍と戦が始まった。小牧長久手の戦いである。
 膠着状態のなか秀吉は11月、軍師の黒田官兵を信雄のもとに使者として送り、和睦を申し出る。これを信雄が単独で受けたため、大義名分がなくなった家康は戦線離脱する。
 このとき帰参する家康に船を調達し海路の便をとった佐治一成に激怒した秀吉は、江を「茶々が病」と偽りの手紙を出し大坂城に呼び寄せ、強引に一成と離縁させるのだった。

×  ×  ×

 黒田官兵衛孝高(よしたか)は織田信長の家臣時代に、織田家の重臣で摂津国を任されていた荒木村重が信長に謀反を起こし有岡城に籠城した。そのとき村重を翻意させようと説得に向ったが、捕縛され地下牢に閉じ込められてしまった。1年後に救出されたときは、その労苦から髪は抜け落ち足に障害を負い、歩行が困難になっていた。

 よって柴俊夫の官兵衛は、頭巾をかぶり常に座っているのですね。冷静沈着な演技をみせています。官兵衛は、竹中半兵衛とともに秀吉の軍師とし、「両兵衛」と謳われました。

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