ぶらり散歩に出る。
港の見える丘公園(横浜市中区山手)のローズガーデンで薔薇(バラ)を愛でる。ポカポカ陽気の中(5月27日)、優美に咲き誇り、見事だった。
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港の見える丘公園あたりは、幕末期にイギリスとフランスが軍を駐屯させた場所である。
嘉永6年(1853年)の黒船来航。翌年の和親条約締結による鎖国の終焉。そして安政5年(1958年)のアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ロシアとの五カ国条約(修好通商条約)締結で、世界との交流・貿易への道が開かれた――。
文久2年(1862年)生麦事件が起こった。江戸から京都に上る薩摩藩主島津忠義(当時の茂久)の父、島津久光の行列が武蔵国生麦村に差し掛かったとき、行列の前を横浜在住のイギリス人4人が乗馬で横切った。このイギリス人一行を薩摩藩士が殺傷し、これが因で薩英戦争にまで発展した事件である。
イギリスやフランスは生麦事件から、日本国内の強い攘夷思想を憂慮し、自国民の保護を目的に軍隊を横浜居留地に駐屯させることを決断する。まずフランスが文久3年に、続きイギリスが翌年の文久4年に駐屯を始めた。現在の港の見える丘公園であった。
公園のほぼ中央に、現在、横浜市イギリス館が佇んでいる。このあたりが幕末から明治初期にかけてイギリスが駐屯した場所で、横浜の港を見下ろす丘を、人々は「トワンテ山」と呼んだという。駐留したイギリス第20連隊の英語「twenty」(トゥエンティ)の発音から由来したという。
一方、フランスが駐留したあたりを「フランス山」といい、今も地名として残る。
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薔薇の香漂うトワンテ山に、幕末の風がそよいでいた。
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