空前の豊作年:序章
草野球音の記憶に残る陰日向に咲いた花――野球に人生を燃焼させた人間模様を、取り上げるシリーズを書いていきたい。
「球侍の炎」と題するカテゴリーである。昭和30年代(1955年~1964年)の歌謡曲・映画・野球の追憶を辿った「瞼の裏で咲いている‥‥」(カテゴリー:瞼の昭和)のような連作となるが、今回は随時掲載する。例の勝手気紛れ更新である。
別段、目新しいものではない。すでに書いてある「原辰徳:巨人の夜明け」「ラッパが聞こえる東京球場」「ジャイアンツ・馬場正平」の3連作も、このカテゴリーに属するものとし、「球侍の炎」に収めることにする。
ちなみに、差出がましい話だが、「たまざむらい・の・ほのお」でなく、時代小説風に「たまざむらい・の・ほむら」と読んでいただくのが、筆者の好みである(笑)。
星野仙一、田淵幸一、山本浩二、山田久志、福本豊、東尾修など綺羅星の如く名選手を輩出、空前の豊作年といわれた1968年度(昭和43)ドラフトを追う。
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陰日向に咲いた花たちの野球人生は、あの日ここから始まった。
1968年(昭和43)11月12日、東京・日比谷の日生会館で第4回プロ野球新人選手選択会議が開かれていた。
午前中に予備抽選を終え、いよいよ第1順目の指名に入った。
指名順位・球団と指名選手は、
1・東映=大橋穣(亜細亜大・内野手)
2・広島=山本浩二(法政大・外野手)
3・阪神=田淵幸一(法政大・捕手)
4・南海=富田勝(法政大・内野手)
5・サンケイ=藤原真(全鐘紡・投手)
6・東京=有藤道世(近畿大・内野手)
7・近鉄=水谷宏(全鐘紡・投手)
8・巨人=島野修(神奈川武相高・投手)
9・大洋=野村収(駒沢大・投手)
10・中日=星野仙一(明治大・投手)
11・阪急=山田久志(富士製鉄釜石・投手)
12・西鉄=東尾修(和歌山箕島高・投手)
となった。
綺羅星の如く面々が並ぶ。長嶋茂雄の東京六大学の通算本塁打記録8本を大幅に22本にまで更新した田淵がいる。その彼と法政三羽烏といわれた山本と富田、六大学通算23勝の星野、関西大学きっての強打俊足の有藤、社会人のエース藤原がいる。
1位の12人から後に6人が監督経験者となり、4人が名球会入りを果たしている。
1位以外でも、阪急の2位は加藤秀司(松下電器・内野手)、7位は福本豊(松下電器・外野手)、中日の3位は大島康徳(大分中津工業・投手)と後に名球会入りしたメンバーがいる。
さらに西鉄9位に大田卓司(大分津久見高・外野手)、南海4位に藤原満(近畿大・内野手)、東映4位に金田留広(日本通運浦和・投手)、東京2位に広瀬宰(東京農業大・内野手)、14位に飯塚佳寛(鷺宮製作所・内野手)、近鉄5位に芝池博明(専修大・投手)、広島2位に水沼四郎(中央大・捕手)がいる。
空前の豊作といわれた年だけに、会議は序盤から大いに盛り上がり、熱気に溢れていた。
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※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。
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