ハイそれまでョ&紺屋高尾
“婚活詐欺女”の話題で喧(かまびす)しい。なんでも34歳の女は婚活サイトで交際相手を募り、お金を無心し、せしめた金は1億円を超えるとか。それだけならフツ―の結婚詐欺だが、付き合った男が次々に怪死したというから、疑惑は好奇心を煽(あお)り、テレビのワイドショーや大衆かわら版の絶好のネタとなったのだ。
「専門学生でお金が必要。卒業したら、あなたに尽します」という殺し文句で、男をコロリと騙(だま)すそうだ。
× × ×
これって、まるでハナ肇とクレイジー・キャッツが歌った「ハイそれまでョ」ではないか。作詞は青島幸男で、作曲は萩原哲晶だ。
♪あなただけが 生きがいなの
お願い お願い 捨てないで
てなことを言われて、その気になって、退職金まで前借りして貢いだが、トンズラされてしまう。
三番の歌詞では、
♪私だけが あなたの妻
丈夫で長持ち 致します
てなことを言われ、結婚した炊事洗濯はまれでダメ、食べることは3人前。ひとこと小言を言ったら、プイと出てきり「ハイそれまでョ」である。
× × ×「ハイそれまでョ」よりも以前に、聞いた節回しがある。
♪遊女は客に惚れたといい、客は気もせでまた来るという
嘘と嘘との色里で 恥もかまわず身分まで
よう打ち明けてくんなました
浪曲「紺屋高尾」の出だしの節だそうだ。
× × ×・本気な女VS本気な男
・嘘気な女VS嘘気な男
の組みわせは問題は起こらないが、とかくトラブルとなるのはそのバランスが崩れたカップルの場合だ。どちらかが本気で、相手がその気がないケース。そんなとき、修羅の悪魔がパックリ口を開けるのである。
2009年10月29日木曜日
2009年10月27日火曜日
「横浜」をつくった易聖
易聖・高島嘉右衛門
高木彬光の『「横浜」をつくった男』(光文社文庫)を読む。副題として「易聖・高島嘉右衛門の生涯」となっている。「大予言者の秘密」1979年カッパ・ブックス(光文社)刊、1982年角川文庫刊の再文庫化したものだそうだ。
横浜の高島町は高島嘉右衛門からとった地名で、世界の港・横浜の恩人というべき御仁である。日本初の鉄道は新橋―横浜間に1872年(明治5年)に開通したが、伊藤博文、大隈重信にその必要性を説き、横浜の入江の一部を埋め立て、鉄道路線の敷設に貢献している。外国公館の建設、旅館の経営、学校の設立、ガス灯の設備など公益事業で活躍した。
実業家であるばかりでなく、「易聖」と呼ばれるほどに易断のよる占いはよく当たることで有名だった。日清戦争、日露戦争の占いは新聞にも掲載され、予言が的中した。また、伊藤博文の死期を予見し、自分の死期までも予知したほどだった。
伊藤博文とは親交が深く、長女が博文の長男に嫁ぎ姻戚関係にあり、ブレーンでもあった。幕末に生まれ明治維新を生きた嘉右衛門の波瀾万丈の生涯が描かれている。
嘉右衛門の名を冠した東横線の高島駅は廃止されたが、みなとみらい線に「新高島」駅ができている。Jリーグの横浜Fマリノスの施設「マリノスタウン」の最寄り駅で、2009年8月には日産自動車本社が東京・銀座から当駅付近に移転した。
× × ×
易とは筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)を使う占いだそうで、この本の中にたびたび「卦」の解説があるが、草野の頭では理解できなかったのであります(笑)。
2009年10月27日読了
高木彬光の『「横浜」をつくった男』(光文社文庫)を読む。副題として「易聖・高島嘉右衛門の生涯」となっている。「大予言者の秘密」1979年カッパ・ブックス(光文社)刊、1982年角川文庫刊の再文庫化したものだそうだ。
横浜の高島町は高島嘉右衛門からとった地名で、世界の港・横浜の恩人というべき御仁である。日本初の鉄道は新橋―横浜間に1872年(明治5年)に開通したが、伊藤博文、大隈重信にその必要性を説き、横浜の入江の一部を埋め立て、鉄道路線の敷設に貢献している。外国公館の建設、旅館の経営、学校の設立、ガス灯の設備など公益事業で活躍した。
実業家であるばかりでなく、「易聖」と呼ばれるほどに易断のよる占いはよく当たることで有名だった。日清戦争、日露戦争の占いは新聞にも掲載され、予言が的中した。また、伊藤博文の死期を予見し、自分の死期までも予知したほどだった。
伊藤博文とは親交が深く、長女が博文の長男に嫁ぎ姻戚関係にあり、ブレーンでもあった。幕末に生まれ明治維新を生きた嘉右衛門の波瀾万丈の生涯が描かれている。
嘉右衛門の名を冠した東横線の高島駅は廃止されたが、みなとみらい線に「新高島」駅ができている。Jリーグの横浜Fマリノスの施設「マリノスタウン」の最寄り駅で、2009年8月には日産自動車本社が東京・銀座から当駅付近に移転した。
× × ×
易とは筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)を使う占いだそうで、この本の中にたびたび「卦」の解説があるが、草野の頭では理解できなかったのであります(笑)。
2009年10月27日読了
2009年10月20日火曜日
篤姫が想い馳せた桜島
横浜・みなとみらいの横浜美術館で「大・開港展―徳川将軍家と幕末明治の美術」(2009年9月19日~11月23日)を観る。
・1953年(嘉永6年)ペリーの黒船来航
・1954年(嘉永7年/安政元年)日米和親条約締結
・1958年(安政5年)5カ国と修好通商条約締結
・1959年(安政6年)横浜開港
・1967年(慶応3年)大政奉還
・1967年(慶応3年)王政復古
・1968年(明治元年)明治政府成立
黒船以降わずか15年で目まぐるしく変わった政治の激動のなかで芸術や文化もまた大いに様変わった。江戸から明治へ――伝統として残ったもの、そして新たに生み出しものを展示している。横浜開港150周年、横浜美術館開館20周年の節目の展覧会。
出展は、
・第一章 徳川時代
・第二章 開港の時代
・第三章 明治時代
の3部から構成されている。
特に目を引いたのは、篤姫所用の『薩州桜島真景図』(展示は9月19日から10月21日)だった。桜の咲く錦江湾から桜島を望む作品で、作者は薩摩藩の御用絵師の柳田龍雪(やなぎだ・りゅうせつ)。篤姫(天璋院)が将軍・家定に嫁ぐ折、義父・島津斉彬(しまづ・なりあきら)が故郷の思い出にと持たせたとされる。篤姫、斉彬の想いはいかばかりだったか。
× × × 明治期の充実ぶりに比べて徳川将軍家の作品が物足りなかったかなぁ。
2009年10月20日観覧
・1954年(嘉永7年/安政元年)日米和親条約締結
・1958年(安政5年)5カ国と修好通商条約締結
・1959年(安政6年)横浜開港
・1967年(慶応3年)大政奉還
・1967年(慶応3年)王政復古
・1968年(明治元年)明治政府成立
黒船以降わずか15年で目まぐるしく変わった政治の激動のなかで芸術や文化もまた大いに様変わった。江戸から明治へ――伝統として残ったもの、そして新たに生み出しものを展示している。横浜開港150周年、横浜美術館開館20周年の節目の展覧会。
出展は、
・第一章 徳川時代
・第二章 開港の時代
・第三章 明治時代
の3部から構成されている。
特に目を引いたのは、篤姫所用の『薩州桜島真景図』(展示は9月19日から10月21日)だった。桜の咲く錦江湾から桜島を望む作品で、作者は薩摩藩の御用絵師の柳田龍雪(やなぎだ・りゅうせつ)。篤姫(天璋院)が将軍・家定に嫁ぐ折、義父・島津斉彬(しまづ・なりあきら)が故郷の思い出にと持たせたとされる。篤姫、斉彬の想いはいかばかりだったか。
× × × 明治期の充実ぶりに比べて徳川将軍家の作品が物足りなかったかなぁ。
2009年10月20日観覧
2009年10月17日土曜日
だまし絵 エッシャー展
父はお雇い外国人
横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6F)で「迷宮への招待エッシャー展」(2009年10月10日~11月16日)を観る。
オランダの画家、版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャーMaurits Cornelis Escher 1998年-1972年)のイタリア風景版画や視覚トリックを駆使した不思議な世界を表現した作品を展示している。
だまし絵の巨匠。だまし絵=騙し絵は、フランス語で“トロント・ルイユ”というそうな。
このところ続けて高橋克彦の「だましゑシリーズ」である「だましゑ歌麿」「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」「京伝怪異帖」と読んできたが、展覧会を観ながら高橋克彦⇒エッシャーの騙し絵繋(つな)がりだわい、と独りほくそ笑む。
× × ×
ところでエッシャーの父親ジョージ・アーノルド・エッセルは明治期に日本の近代化に貢献したお雇い外国人だった。土木技術者で、大阪の淀川修復工事や三国港のエッセル堤、龍翔小学校(福井県坂井市)などの設計、指導にあたった。エッセルとエッシャーはともにEscherと綴るが、日本語表記に違いが出たもの。
2009年10月15日観覧
横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6F)で「迷宮への招待エッシャー展」(2009年10月10日~11月16日)を観る。
オランダの画家、版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャーMaurits Cornelis Escher 1998年-1972年)のイタリア風景版画や視覚トリックを駆使した不思議な世界を表現した作品を展示している。
だまし絵の巨匠。だまし絵=騙し絵は、フランス語で“トロント・ルイユ”というそうな。
このところ続けて高橋克彦の「だましゑシリーズ」である「だましゑ歌麿」「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」「京伝怪異帖」と読んできたが、展覧会を観ながら高橋克彦⇒エッシャーの騙し絵繋(つな)がりだわい、と独りほくそ笑む。
× × ×
ところでエッシャーの父親ジョージ・アーノルド・エッセルは明治期に日本の近代化に貢献したお雇い外国人だった。土木技術者で、大阪の淀川修復工事や三国港のエッセル堤、龍翔小学校(福井県坂井市)などの設計、指導にあたった。エッセルとエッシャーはともにEscherと綴るが、日本語表記に違いが出たもの。
2009年10月15日観覧
登録:
投稿 (Atom)