2012年6月17日日曜日

父の日の 万寿に顔が ほころびる

*「千寿」から最高峰へ――。

娘夫婦から久保田の「萬寿」のプレゼントがありました。
いつも晩酌は「千寿」です。
特別の日にグレードアップして最高峰へ。
勝手知ったる婿と娘の心遣いが痛み入りますなぁ。
感謝そして多謝。
気分爽快の朝を迎えましたぞ。

6月の第3日曜日は「父の日」。
2012年(平成24年)は6月17日。
「母の日」と比べ影の薄い記念日ですが、
日本でもやっと定着していた感がします。

・日本酒
という言葉に少し抵抗感がある。
「酒」といえば、Japanese sake に決まってらぁ。

・日本そば
「蕎麦(そば)を食おうや」というと、
「日本そばですか?」なんて輩(やから)まで……。
「蕎麦」といえば、そばの実で作った麺「蕎麦」に決まってらぁ。

「はんちく野郎」が多くなって、
とかく古い奴は、住みにくくなりやした。
せっかくの気分のいい朝なのに、
怒るなんて……
おいらもとんだ「とんちき」だ(笑)。

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2012年6月16日土曜日

今野敏「ST警視庁科学特捜班 毒物殺人」

*テトロドトキシンによる二つの変死体
 今野敏の「ST警視庁科学特報班 毒物殺人」(講談社文庫)を読む。ST警視庁科学特捜班シリーズの第2弾。



東京・新宿の代々木公園で若い男の変死体が見つかった。そして世田谷公園でも変死体が……。解剖の結果、二つのは死因はいずれもテトロドトキシン(フグ毒)によるものだった。
 一方、キャリアの警部・百合根友久率いるST科学特捜班は、財政逼迫の折、経費削減案として班の廃止が検討され出した。ST存続のためには、手柄が欲しい百合根であった。
 二つの事件を追う科学特捜班に、かすかな手掛かりとして人気女子アナ八神秋子の存在が浮かび上がった。

×  ×  ×

河豚(ふぐ)は大阪で「てっぽう」っていいますな。
「鉄砲」は「当ると死ぬ」という、いかにも大阪人らしい洒落っ気からの別称。
「てっちり」は鍋で、「てっさ」は刺身。

大学生のとき、大阪で初めて「てっちり」をいただきました。
通天閣界隈で。
真夏のことで、「てっさ」はなかったのだろうね。
46年前のことです。
美味かった、という記憶は鮮やかに残っています。

河豚は食いたし命は惜しし――。
ふぐは肝臓や卵巣に「テトロドトキシン」という毒を持っていることは周知の事実です。
1-2mgで致死量となり、経口摂取では青酸カリの約850倍の猛毒だそうな。
2012年6月10日読了

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2012年6月14日木曜日

松島や ああ松島や 松島や

*大自然の美に俳聖も圧倒されたのでは……。

球聖といえばタイ・カッブ。
楽聖といえばベートーベン。
そして、俳聖といえば松尾芭蕉。

俳句の第一者、芭蕉の代表作といえば「奥の細道」となりますが、
「奥の細道」には、松島を詠んだ芭蕉の句はないそうな。

松島の絶景に匹敵する句が浮かばなかったのか、
詠んだが、その句の出来に俳聖のプライドが許さず記載しなかったか。

この奥羽・北陸の旅に同行した門弟の河合曽良が、
『松島や 鶴に身をかれ ほととぎす』という句を残しています。

件(くだん)の『松島や ああ松島 松島や』の芭蕉作は俗説(偽説)とか。
江戸時代後期、相模の狂歌師・田原坊さんって方が創った
『松島や さて松島や 松島や』が後世に芭蕉作と誤伝されたようですな。

×  ×  ×

松島はあいにくの雨でした。
6月10日早朝、午前5時前。
泊まった宿「一の坊」の温泉に浸かりながら、松島湾に点在する島々を眺めました。
小雨に煙る島影はまさに一幅の水墨画を思わせる風情でした。
なんと贅沢な時――。

芭蕉が松島を訪れたのは、323年前の同じ時期。
元禄2年(1689年)5月9日。
新暦なら6月25日とか。
快晴と伝えられています。
眼前にとてつもない松島の絶景が広がったことでしょう。
圧倒的な美しさ。
大自然美との対峙――。
俳聖は勝負を避けたのだと想像します。

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2012年6月12日火曜日

独眼竜に想いを馳せて瑞巌寺

*慶長遣欧使節が持ち帰ったガラスのろうそく立てが……。

♪松島の サーヨー
 瑞巌寺ほどの 寺もないとエー
 ガキのころから耳にした民謡「斎太郎節」の唄い出しである。

 アラカンといえば鞍馬天狗。勝新といえば座頭市。渥美清といえば寅さん。ゴホンといえば龍角散(ちょいと違う?)。
 そして、松島といえば瑞巌寺。日本三景・松島観光には外せぬ定番スポットである。


 瑞巌寺は宮城県宮城郡松島町に在る臨済宗妙心寺派の寺で、詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺。平安時代の天長5年(828年)の創建で、宋派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。
 戦国時代に一時荒廃していたが、江戸の初期、慶長14年(1609年)伊達政宗が5年の歳月をかけ再建した。桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のもの。以後、伊達家の菩提寺と栄えた。(この段落記述はパンフレット、ウィキペディア参照)

現在、平成の大改修中とかで、国宝の本堂・重要文化財の御成門などは拝めないが、庫裡(国宝)、大書院、陽徳院御霊屋が特別公開されていた。
大書院には、2mほどもある巨大な政宗の位牌はじめ伊達家歴代藩主のものが鎮座していた。陽徳院御霊屋は政宗の正室、陽徳院田村氏愛姫(めごひめ)の墓堂で、金箔貼りの豪華絢爛だった。
政宗の墓所は仙台市青葉区の瑞鳳殿に、位牌は松島の瑞巌寺にある。

 興味深い一品が宝物館に出遭った。
 ガラス製品(ろうそく立て)が展示されていて、説明文を読むと慶長遣欧使節がスペインから持ち帰ったといわれる、とあった。
 慶長18年(1613年)伊達政宗は、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正史、支倉常長(はせくら・つねなが)を副使として、エスパーニャ王国(スペイン)の国王フェリペ3世とバチカンのローマ教王パウルス5世に使節を派遣している。世にいう「慶長遣欧使節」である。政宗は徳川家康から「外交権」を得て、貿易を目論んだ。したたかな為政者の顔がのぞく。

 そぼ降る小雨のなか瑞巌寺を観て、政宗に想いを馳せた。
 仙台市の仙台市博物館には伊達氏、仙台藩、慶長遣欧使節の資料が充実しているそうな。機会があれば、ぜひ観たいものだ。

2012年6月9日観覧

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