2012年6月12日火曜日

独眼竜に想いを馳せて瑞巌寺

慶長遣欧使節が持ち帰ったガラスのろうそく立てが……。

♪松島の サーヨー
 瑞巌寺ほどの 寺もないとエー
 ガキのころから耳にした民謡「斎太郎節」の唄い出しである。

 アラカンといえば鞍馬天狗。勝新といえば座頭市。渥美清といえば寅さん。ゴホンといえば龍角散(ちょいと違う?)。
 そして、松島といえば瑞巌寺。日本三景・松島観光には外せぬ定番スポットである。


 瑞巌寺は宮城県宮城郡松島町に在る臨済宗妙心寺派の寺で、詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺。平安時代の天長5年(828年)の創建で、宋派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。
 戦国時代に一時荒廃していたが、江戸の初期、慶長14年(1609年)伊達政宗が5年の歳月をかけ再建した。桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のもの。以後、伊達家の菩提寺と栄えた。(この段落記述はパンフレット、ウィキペディア参照)

現在、平成の大改修中とかで、国宝の本堂・重要文化財の御成門などは拝めないが、庫裡(国宝)、大書院、陽徳院御霊屋が特別公開されていた。
大書院には、2mほどもある巨大な政宗の位牌はじめ伊達家歴代藩主のものが鎮座していた。陽徳院御霊屋は政宗の正室、陽徳院田村氏愛姫(めごひめ)の墓堂で、金箔貼りの豪華絢爛だった。
政宗の墓所は仙台市青葉区の瑞鳳殿に、位牌は松島の瑞巌寺にある。

 興味深い一品が宝物館に出遭った。
 ガラス製品(ろうそく立て)が展示されていて、説明文を読むと慶長遣欧使節がスペインから持ち帰ったといわれる、とあった。
 慶長18年(1613年)伊達政宗は、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正史、支倉常長(はせくら・つねなが)を副使として、エスパーニャ王国(スペイン)の国王フェリペ3世とバチカンのローマ教王パウルス5世に使節を派遣している。世にいう「慶長遣欧使節」である。政宗は徳川家康から「外交権」を得て、貿易を目論んだ。したたかな為政者の顔がのぞく。

 そぼ降る小雨のなか瑞巌寺を観て、政宗に想いを馳せた。
 仙台市の仙台市博物館には伊達氏、仙台藩、慶長遣欧使節の資料が充実しているそうな。機会があれば、ぜひ観たいものだ。

201269日観覧

※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
人気ブログランキング
※こちらもクリックお願いします。

0 件のコメント: