2011年11月8日火曜日

落城―淀・秀頼の最期:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第43回=淀、散る)
大した男よ。
こたびばかりはダメかと思った。
しかし、戦は勝つ。
勝って乱世を終わらせるのじゃ。
 家康(北大路欣也)は、壮絶な死を遂げた真田幸村(浜田学)に葵の陣幕をかけた。

慶長20年(1615年)大坂夏の陣。真田幸村は寡兵をかって家康の本陣まで攻め込み、追い詰めたが、力尽きた。
  家康は死を覚悟するほどだった。
  豊臣方壊滅の報を受け、炎上する愛着の城を見ながら、淀(宮沢りえ)と秀頼(太賀)は死を決意した。

×  ×  ×

 徳川の紋章である葵の陣幕を幸村の遺体にかけた家康の行いは、戦国武将に対する最大のオマージュだったのです。「敵ながらあっぱれ」というわけです。家康の本陣が破られたとの知らせに、秀忠(向井理)は駆け付けましたが、父・家康の姿がなく、横たわる幸村を見つけて声をかけます。
  幸村は秀忠を見て、「おお、よい死に場所をもろうたわ」と息絶えました。
ドラマならではの見せ場ですな。

秀忠が高台院(大竹しのぶ)に淀の戦回避を頼みますが、「わたしは思うのです。この世には泰平になるために避けられない戦があるのではないか」と断ります。
  冒頭の家康や高台院の台詞から、戦国乱世が終わりを告げ天下泰平の世明けが見えてきますな。
  浅井三姉妹の一番上の淀の死、ドラマ「江」もあと3回で終幕となります。


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2011年11月5日土曜日

田牧大和「緋色からくり」

美貌の女錠前師が謎に挑む。
田牧大和の「緋色からくり 女錠前師謎とき帖(一)」(新潮文庫)を読む。


姉と慕ったお志麻が惨殺されて4年。年の頃は245、目許涼やかで色白の、きりりとした美人の錠前師・お緋名の家に空き巣が入った。ちょうど居合わせた、用心棒になりたいという侍・榎康三郎は賊を取り逃がしてしまう。賊がお緋名の家から盗もうとしたものはなにか。4年前の事件との関係はあるのか……。

目次
・嚆矢:孤児
・第一章:女錠前師
・第二章:用心棒
・第三章:髪結い
・第四章:辰巳芸者
・第五章:番頭
・第六章:黒幕
・第七章:始末
・結び:門出

登場人物
・お緋名:女錠前師
・榎康三郎:用心棒志願の侍
・甚八:髪結い床「甚床」の主
・お志麻:髪結い
・孝助:お志麻の息子
・祥太:辰巳芸者
そして、お緋名の愛猫の大福

×  ×  ×

「女錠前師謎とき帖」シリーズ第1弾。主人公のお緋名は男身なりですが、飛びきりの美人で、魅 力的ですな。
――花色の青も鮮やかな縦縞の小袖をいなせに腰ではしょり、
すらりとした脚には藍の股引、
廻り髪結いが持つ鬢盥(びんだらい)のような道具箱を手にしている(原文)
 登場人物のキャラも鮮明で続編に期待がもてますぞ。
 人の善し悪しが判る猫の大福がカワユイ。
2011113日読了

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2011年11月3日木曜日

ゴヤ展:国立西洋美術館

「着衣のマハ」は妖艶でした。
 スペイン美術の巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)の展覧会「ゴヤ 光と影」(20111022日~2012129日)が、東京・上野の国立西洋美術館で開かれている。スペイン国立プラド美術館所蔵の油彩画、素描など72点と、西洋美術館所蔵の版画約50点が展示されている。「裸のマハ」と対をなす美術史上の傑作といわれる「着衣のマハ」は40年ぶりの来日。


着衣のマハ=1800―1805年頃
「マハ」とは「小粋な女」という意味なんですな。本展で初めて知りました。描かれている女性の名、固有名詞だと思っていましたが……(ポリポリ)。
 両腕を頭の後ろに組みソファに横たわる女性。こちらを向いて微笑みかけています。なんと妖艶な様でしょう。

 ほぼ同じ構図の「裸のマハ」を描いてから数年後の作品だそうな。当時のスペインでは、厳格なカトリックの影響が強くヌードはご法度だったのですな。西洋絵画で初めて陰毛を描いた絵はきっとセンセーショナルな話題となり、ゴヤは裁判所に何度か呼び出され絵の説明を求められました。さしずめ日本でもあった「芸術か猥褻か」の裁判でしょうかな。
 
・フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)
 1746年スペイン北東部サラゴサの近郊フェンデトドスの生まれ。十代でローマでの絵の修業をめざしますが、失敗しマドリードに出る。1775年に王立タペストリー工場の下絵描きとして働き、1786年国王カルロス4世の宮廷画家となる。
40歳代で画家として最高の地位と名声を得るが、1792年に病から聴力を失う。1807年ナポレオン侵攻に遭い、スペイン社会は戦争と混乱に見舞われる。
78歳で自由主義者弾圧を避けフランスに亡命。1828年、ボルドーで死す。82歳。
 

 さて「着衣のマハ」ですが、描いたのは耳が聴こえなくなった後のことでした。40年ぶりの来日。当方の入社時でした。どうでいいことです(笑)。前回は「裸のマハ」も同時公開だったそうです。並べて観たかったなぁ。
 ゴヤは「裸のマハ」を描いて後、なぜマハに服を着せたのだろうか。

ゴヤの作品を時系列に展示されています。ちょっとばかり難解ですが、本展の構成は以下になっています。
1かくある私ゴヤの自画像
2創意と実践タピスリー用原画における社会批判
3嘘と無節操女性のイメージ:〈サンルーカス素描帖〉から私室の絵画へ
4戯画、夢、気まぐれ〈ロス・カプリーチョス〉の構想段階における自由と自己検閲
5ロバの衆:愚鈍な者たち〈ロス・カプリーチョス〉における人間の愚行の諷刺
6魔物の群れ〈ロス・カプリーチョス〉における魔術と非合理
7「国王夫妻以下、僕を知らない人はない」心理研究としての肖像画
8悲惨な成り行き悲劇への眼差し
9不運なる祭典〈闘牛技〉の批判的ヴィジョン
10悪夢〈素描帖C〉における狂気と無分別
11信心と断罪宗教画と教会批判
12闇の中の正気ナンセンスな世界の幻想
13奇抜な寓話〈ボルドー素描帖G〉における迷妄と動物の夢
14逸楽と暴力〈ボルドー素描帖H〉における人間たるもの諸相
2011111日観覧

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2011年11月1日火曜日

大坂冬の陣そして和議:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第42回=大坂冬の陣)

(戦は)終わっておらぬ。

淀殿も秀頼もまだ健在ではないか。

なにがなんでも豊臣の息の根を止めるまでよ。

家康(北大路欣也)が秀忠(向井理)に向って、ついに本音を語った。



慶長19年(1614年)1119日、大坂冬の陣が火ぶたを切った。真田幸村(浜田学)の奮闘もあったが、徳川方の大筒による砲撃を大坂城に受け、豊臣方の劣勢は否めなかった。そこで、家康より和議の申し出が……。常高院(水川あさみ)を交渉役にたて徳川と折衝し、1218日に和議が成立した。

和議の条件である濠の埋め立てを、徳川は一気に進めた。難攻不落の名城が無防備の丸裸同然となった。

秀忠は家康に和議が成ったあとで、豊臣を追い詰めることは避けるべきと反対するが、家康は冒頭の台詞を吐くのだった。

和議は形ばかりのもので、豊臣を根絶やしにすることこそが家康の目的であった。


 

×  ×  ×



原作・脚本の田渕久美子さんの「作り」がありました。

和議の後で、秀忠が本多正信(草刈正雄)の家来と偽り大坂城に忍び込みます。「生きていてほしい」と、降伏を勧めますが、淀(宮沢りえ)と秀頼(太賀)は断ります。

 さらに、秀忠は城中で真田幸村にもバッタリ遭っちゃいます。にらみ合う二人。上田城を攻めあぐみ、関ヶ原の戦に遅参した秀忠です。幸村は宿敵です。脇差に手をかけた秀忠に、幸村は「将軍直々のお出ましにござるか。戦は戦場にてつかまつりましょうぞ」と言って去ります。幸村サン、かっこいい。

 史実にはないことでしょうが、田渕さんの視聴者サービスですかね。




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