2010年11月18日木曜日

貴田庄「原節子 あるがままに生きて」

伝説の女優・永遠の処女
『伝説の女優』「永遠の処女」というお定まりの冠詞は知っているが、原節子の映画はほとんど観ていない。代表作である小津安二郎監督の「東京物語」はDVDで観た程度である。※敬称略
 
 そんな原節子知らずだが、加東大介主演の「大番」は、彼女を銀幕で観た数少ない映画だ。原作は獅子文六。東宝で、監督・千葉泰樹で4作品撮られた。
・大番 1957年
・続大番 風雲篇 1957年
・続々大番 怒涛篇 1957年
・大番 完結篇 1958年

 愛媛宇和島の片田舎に生まれた主人公ギューちゃんが兜町を舞台に相場で大儲けしたり、大損したしながら繰り広げる人情喜劇だった。面白かった。
 原節子はギューちゃんの故郷宇和島の資産家の令嬢、憧れの女性として登場する。
 丁稚あがりの相場師・加東とセレブな深窓の令嬢・原がいかにも対照的だった。なによりも原が登場すると(出演場面は少ないが……)、スクリーン全体が凛とした雰囲気が漂ったのである。あれは演出もあるが、原節子という女優のオーラであったと、ガキのころだったが、感心したものだ。

×  ×  ×

 貴田庄(きだ・しょう)の「原節子 あるがままに生きて」(朝日文庫)を読む。

 経済的な理由から14歳で映画界に飛び込んだ天性の美貌の持ち主会田昌江が原節子となり、当初『大根』といわれたが、やがて映画の魅力に憑かれ大女優になる過程を、映画関係者の証言や豊富な資料で綴っている。
 巨匠の小津安二郎や黒澤明の「原節子評」は興味深い。

×  ×  ×

 原節子って、水着姿や入浴シーンもめったに見せない女優だよね。42歳で映画界を去り、その後はひっそりと暮らしています。大正9年、西暦でいえば1920年生まれの今年90歳。まさに『伝説の女優』ですね。
2010年11月16日読了

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2010年11月17日水曜日

星野哲郎:人生の応援歌 FOREVER

出世街道・男はつらいよ・三百六十五歩のマーチ
 11月15日に85歳で亡くなられた作詞家の星野哲郎さんには、「三百六十五歩のマーチ」に代表される『人生の応援歌』というべき作品が多い。苦しい時、悲しい時、迷った時……背中を後押して励ましてくれた作詞を口ずさんでみたい。※以下敬称略

×  ×  ×

 団塊の世代である。
 小学校では同学年が10クラスあった。中学校で11クラス、高校で9クラスあった。大学受験は狭き門だった。就職も苦労した。やっとこさ入った会社ではライバルがいた。出世なんて……口ではいいながらも、出世競争に参入してしまった。一歩でも上を目指し奮闘した。
 風呂場で歌い、仕事の前には気合いを入れた。畠山みどりが歌った「出世街道」が身体の中を流れていた。作詞はもちろん星野哲郎。作曲は市川昭介。

 ♪やるぞみておれ 口には出さず
  腹におさめた 一途な夢を

 男は所詮「一本どっこ」だった。己だけが頼りだった。仕事人生のテーマ曲だったなぁ。

「男はつらいよ」。
 マドンナに惚れるが、結局はふられてしまう寅さんの渥美清が歌う。2番の歌詞に励まされました。

 ♪ドブに落ちても 根のある奴は
  いつかは蓮の 花と咲く

 作曲は山本直純だった。

 水前寺清子の歌に人生の応援歌は多い。
 まず「三百六十五歩のマーチ」だ。作曲は米山正夫。
 
 ♪しあわせは 歩いてこない
  だから歩いて ゆくんだね

 けだし名言である。しあわせの道程は平坦ではない。1日1歩、3日で3歩と順調に歩むかと思えば、挫折があり、2歩さがる。汗をかき、ベソをかき、休まないで掴むゴールなのだ。

「いっぽんどっこの唄」は男の生きざまが伝わってくる。作曲は富侑栄。

 ♪ぼろは着てても こころの錦
  どんな花よりきれいだぜ

 若い時は二度とない。男ならどんやれ、と励ましてくれる。

「どうどうどっこの唄」は人生七転び八起を謳う。

 ♪勝った負けたと さわぐじゃないぜ
  あとの態度が 大事だよ

 まさにおっしゃる通りです。作曲は安藤実親。

 脈絡なく人生の応援歌を挙げてみた。星野哲郎は援歌の達人なのだ。

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2010年11月16日火曜日

作詞家・星野哲郎 FOREVER

黄色いさくらんぼ・おんなの宿・昔の名前で出ています
「黄色いさくらんぼ」「函館の女」「三百六十五歩のマーチ」などのヒット曲で知られる昭和を代表する作詞家・星野哲郎(ほしの・てつろう)さんが2010年11月15日亡くなった。85歳だった。※以下敬称略

×  ×  ×

 ♪若い娘が(ウッフン) お色気ありそうで(ウッフン)
  なさそうで(ウッフン) ありそうで(ウッフン)

 なんだ、この歌は。「黄色いさくらんぼ」は衝撃だった。
 流行ったのは小学校高学年だった。街っ子でませたガキには、『おとなの世界』を感じさせた。人前で歌うのは「これはまずいぞ」と憚(はばか)ったものだ。
 作曲したのは、あのヘンテコな曲「僕は泣いちっち」のハマクラこと浜口庫之助とわかったが、作詞が星野哲郎と知ったのは随分と後のことだった。
 思わせぶりな作詞は只者ではない。スリー・キャッツの歌唱もあり、1959年(昭和34年)のヒット曲となった。
 昭和歌謡史に残るお色気ソングだと思う。

 大下八郎が歌った「おんなの宿」も作詞が記憶に残る。作詞・星野哲郎、作曲は船村徹である。1964年の作品。

 ♪想い出に 降る雨もある
  恋にぬれゆく 傘もある

 人妻の道ならぬ恋。忍び逢い。伊豆の温泉場。……。そして。別れの朝、駅で列車を待つふたり。2番の作詞がしびれる。

 ♪たとえひと汽車 遅れても
  すぐに別れは 来るものを

「わざと時計の針を遅らせ」、少しでも一緒にいたい女心が切々と伝わってくるのだ。

 小林旭の「昔の名前で出ています」は愛唱歌である。酒場に生きる女がいる。恋する男がいた。愛した時があった。女の前にいろんな男が通り過ぎて行った。が、忘れられない男がいる。

 ♪京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
  神戸じゃ 渚と名乗ったの

「忍」と「渚」っていかにもその土地にちなんだ源氏名だよね(笑)。
 女のホームグランドは横浜(ハマ)。愛した男と出逢ったハマに戻り、昔の名前で酒場に出て、昔の男を待っている。3番の歌詞では、ボトルに男の似顔絵を描き、「ひろみの命」と書いていることがわかる。
 昔の名前は「ひろみ」なんだ。
 ひろみさんにご指名はあったのだろうか。
 作曲は叶弦大。1975年作品。

「黄色いさくらんぼ」は成長過程にある未成熟の女性、そして「女の宿」と「昔の名前で出ています」は女盛りを描いているのですなぁ。星野哲郎は艶歌の達人なのです。

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2010年11月13日土曜日

池波正太郎「獅子」

*真田信之93歳の闘い
関ヶ原の決戦前に真田信之は、昌幸と幸村の父弟と袂を分けた。下野・犬伏の別れである。戦犯として蟄居中の紀州・九度山で父の昌幸は没し、弟の幸村は大坂夏の陣で壮絶な死を遂げた。  














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戦国の世を生き抜いた真田家の信之は、徳川時代を迎えた。信頼厚い家康の死後、真田家に敵意を持つ2代将軍・秀忠から真田藩取り潰しの策謀を仕掛けられるが、草の者お江と自らの周到さで難を逃れた。が、その後、秀忠から信州・上田から信州・松代に国替えを命じられ、松代の向う。その行列を領民は惜別の涙を浮かべ見送った。
池波正太郎の「真田太平記」(新潮文庫)はここで終っている。その時、信之は57歳だった。

池波正太郎の「獅子」(中公文庫)を読む。93歳の真田信之の物語である。

信之の息で松代十万石の藩主の信政が急死する。いまわの際に庶子の1歳の右衛門佐を跡継ぎとする遺言を残す。支藩である沼田の当主、信之の孫の信利は、幕府の老中にある酒井雅楽頭忠清と謀り松代藩主の座を狙う。お家騒動が持ちあがる。

信政の遺志を継ぐ信濃の獅子・信之と老中酒井清忠との隠密を巻き込んだ闘いが繰り広げられる。

×  ×  ×

本棚から「獅子」を引っ張り出した。パラパラ捲ると文庫から1枚のレシートが出てきた。見るとビックリだ。1994年11月8日の日付がある。定価520円。消費税3%でした。
一読から16年。あらためて「真田太平記」の後に読むと、続編として味わい深い。
2010年11月13日読了

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