*3月7日付日刊スポーツ4・5面見開き。
創刊75周年に関連した巨人原辰徳監督の記事。
アマチュアの時は、新聞記者というのはいい人だった。アマチュアの(担当)記者は、何となく育ててくれた感じがある。お兄ちゃんであり、お父さんであり、教育的だった__
談話にジンときましたよ。
東海大・原辰徳番のアマチュア担当記者でした。
巨人入団まではそれこそ濃厚接触者状態でした笑
いい人で兄であり父であり教育的…
そんな記者いる?
ひょっとして…
いやいや妄想ですぞ。
そんなこたぁ間違ってもないな ポリポリf^_^;)
× ×
同記事で懐かしい名前を拝見しました。
ノンフィクション作家の軍司貞則氏。
『原辰徳』を初めて取り上げた記者が軍司氏です。
1974年6月26日2面掲載
「東海へ夢再び“父子鷹“ 原監督と4番・辰徳君」
__東海大相模1年生の4番サード原辰徳を扱っています。
47年前のスポーツ紙初登場を原監督は鮮明に覚えていましたネ。
彼も記事を目にしたら喜ぶだろうな。
軍司さんとは同期入社なんだよね。
*ご訪問ありがとうございます。
「👍いいね!」
以下のボタンにクリックをご協力お願いいたします m(_ _)m
0 件のコメント:
コメントを投稿