*20日に73歳で亡くなった、プロ野球ヤクルト球団で昭和40年代から50年代に活躍した安田猛さんについてもう少し語りたい。
続 ペンギンはフラミンゴをカモにした__(以下敬称略)
安田猛がヤクルト入団したのは1972年(昭和47年)だった。福岡の小倉高ー早稲田大学ー大昭和製紙を経てドラフト6位。知将三原脩の元でプロとしてスタートを切った。
新人ながらサイドスロー左腕から繰り出す緩急自在のピッチングで巨人王貞治に立ち向かった。対戦成績は14打数4安打1本塁打。翌1973年には15打数1安打1本塁打。
王の打撃成績
1972年 打率 .296 48本塁打 120打点(本塁打王と打点王)
1973年 打率 .355 51本塁打 114打点(三冠王)
全盛期の最強打者をプロ入り2年間 打率1割7部2厘に抑え込んだ。
ペンギン投法がフラミンゴ打法をカモする快投ぶりだった。
『王キラー』の異名をとった。
安田は1972年に7勝5敗 防御率2・08の好成績で最優秀防御率に輝き新人王に選ばれた。翌1973年も連続の最優秀防御率、81イニング連続無死四球の日本プロ野球記録を作っている。
だが、しかし。さすがに世界の王だ。
安田が煮湯を飲ませれたときもあった。
1977年。この年は王貞治がMLBハンク・アーロンの本塁打世界記録を抜く話題で日本中がもちきりだった。
9月3日後楽園球場 巨人対ヤクルト戦。王が鈴木康二朗からついに756号を放ち、ホームランの世界最多記録を樹立した。ときの総理大臣福田赳夫はその偉業を称え国民栄誉賞を創設した。授与式は9月5日だった。
9月4日。一夜明けても興奮の余韻が残る後楽園球場。同カード巨人対ヤクルト戦。延長10回、安田が王にサヨナラ3ランを喫した。その打席まで7回対戦し無安打に抑えていたが、痛恨の一投となった。
「訃報に接し彼(安田)から757号を打ったことを思い出しました」と80歳の王はかつての天敵を悼んだ。
× ×
蛇足ながら……
当時ヤクルト担当記者でした。王さんの757号は安田猛で、754号は松岡弘で神宮球場でした。
印象に残るのは鈴木康二朗の756号です。いつも記者席で観戦しますが、歴史的な一発は後楽園球場右翼席でしかと観ました。間違いなく飛んでくると私じゃなくデスクが予想し陣取っておりました。
序盤の3回に出ました。世紀の大記録となった打球は低い弾道で、右翼前列に着弾しました。序盤の3回。ときに午後7時10分6秒__。
#RIPペンギン安田猛さん
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