2013年6月15日土曜日

尾崎行雄さん 剛球伝説 forever

*葛城を投ゴロ、榎本そして山内を連続三振――。   

 甲子園優勝(浪商)を手土産に17歳でプロ野球、東映(現日本ハム)入り即20勝を稼いだ尾崎行雄(おざき・ゆきお)さんが2013613日亡くなった。68歳だった。 
※以下敬称略 



尾崎の投球を観たことがありますか? 
右腕を後方に振り絞り、
ハト胸を突き出すようのボディスイング、
腕が遅れて斜めから(スリークォーター)
出てくる独自のフォームだった。

スピードガン測定がない時代だが、今計れば、
その球速は150キロ後半から160キロ出ていたろうという球界関係者も多い。
よく速球主体というが、正真正銘の「まっすぐ」ばかりの本格派投手だった。

あの剛球が忘れられない。 

1962年(昭和37年)48日神宮球場。
東映―大毎ダブルヘッダーの第1試合。
開幕第2戦に65000人の大観衆が詰めかけた。
33延長10回の緊迫した場面。
水原茂監督は17歳の新人尾崎をマウンドに送った。
猛打を売り物の大毎は2番からの好打順。 

まず葛城隆雄を投ゴロ。
続く3番榎本喜八を三振。
4番山内一弘も連続三振。

山内、榎本、葛城に加え田宮謙次郎。
「ミサイル」と異名をとった大毎打線。
前年夏の甲子園大会で全国制覇した浪商の2年生で、
17歳の若者が名だたるプロの猛者を牛耳った。

その裏山本八郎がサヨナラ打を放ち、
尾崎は初登板初白星を飾ったのだった。 

中学3年生の野球小僧はテレビ観戦で興奮し手に汗した。
うろ覚えだが、葛城にカーブを投げたが、
榎本、山内には速球で押しまくったと思う。

東映は尾崎の快投で開幕ダッシュに成功、
リーグ初制覇を果たした。
 
尾崎の剛球伝説があの日から始まった。
 
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