2012年10月20日土曜日

冲方丁「天地明察(下)」

メイド・イン・ジャパンのカレンダー貞享暦――。

 冲方丁(うぶかた・とう)の「天地明察(下)」(角川文庫)を読む。


 徳川4代将軍の家綱の時代、碁方の長子として生まれた渋川春海(安井算哲)が23年間かけ日本初の暦、貞享暦(じょうきょうれき)を作成するまでを描いている。

×  ×  ×

 日本の暦の歴史を、草野が親友の「トリ頭」こと戸坂健作に問うた。
 またまた例のネット検索で得た知識を曝(さら)け出しましたぞ。

――(以下はトリ頭の講釈)
日本に中国の暦が伝来したのは6世紀ごろといわれる。

渋川春海のころは宣明暦(せんみょうれき)を使用していた。この暦は実に823年もの間施行された。862年から1685年の長きわたりなんと2日ほどの誤差が生じていたのだよ。

この不都合を改めたのが岡田准一いや渋川春海さ。
日本人の手による最初の暦さ。
メイド・イン・ジャパン・カレンダーさ。
貞享暦(じょうきょうれき)だな。貞享2年(1685年)に宣明暦を廃止して1686年から使用された。
でも、これも中国の授時暦を参考にして作ったんだ。

以降、宝暦暦―寛政暦―天保暦と移り変わり、現在は明治5年の改歴からグレゴリオ暦(太陽暦)を使用しているのだよ。

明治5年といえば、新橋―横浜(現・桜木町)間に日本で初めて鉄道が開通したん年だぜ。
♪汽笛一声 新橋を
 はや我汽車は離れたり
 愛宕の山に……

おっと、話が逸れ出し長くなるのでさえぎった。
 こんな講釈も明日になれば、すっかり忘れているに違いない。
 なにせ3歩歩けば、物忘れのニワトリさん。鶏冠(とさか)⇒戸坂から付いたあだ名が「トリ頭」。我が愛すべき友なのです。

目次(上下巻)
序章
第1章        一瞥即解
第2章        算法勝負
第3章        北極出地
第4章        授時暦
第5章        改暦請願
第6章        天地明察

20121018日読了

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