2012年9月19日水曜日

桂小五郎がいた但馬・出石

出雲大社・天橋立12日ツアー3

 「大したもんやありませんけどな……」
と、年配の女性が道筋を丁寧に教えてくれた。

但馬の出石(いずし)で探したのは、桂小五郎潜居跡だった。地図を見ながら進んでみたが、どうやら通り越したようだ。行商の軽トラックで野菜を買っていた件の女性に、「桂小五郎が身を隠していた住まいがあるらしいのですが、このあたりにありませんか」と尋ねたのだった。

なるほど1.5mほどの記念碑がぽつりとあった。見過ごしていた。迂闊にも、さっき通ったばかりだった。それほど目立たぬ、地味な場所だった。



1864年(元治元年)の蛤御門の変で長州藩は敗れ、桂小五郎がお尋ね者となった。乞食を装い京で逃亡生活をしていたが、幕府の手がいよいよ及ぶ寸前、但馬の出石に逃れた。広江孝助と名乗り荒物屋をしながら潜伏していた。京の芸妓・幾松(維新後に結婚、木戸松子)も訪ねたことのある潜居跡である。

1866年に薩長同盟が結ばれ、状況は好転し、倒幕へ時代の舵はきられた。桂は明治政府では版籍奉還・廃藩置県の改革に力を発揮した。

今は碑があるだけではあったが、ここに西郷隆盛、大久保利通とともに『維新三傑』のひとり桂小五郎(木戸孝允)がいたのか、と往時を忍び歴史好きには愉しい発見であった。

 城下町の出石はやたらと蕎麦屋が多かった。
 なるほど皿そばは美味かった。
2012915日見学
美博の館#36

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