2008年7月19日土曜日

瓦版は幕末からの呼称

読売・辻売絵双紙

 江戸時代の新聞といえば「かわら版」である。
 映画やテレビの時代劇では、時代に関わらず「かわら(瓦)版」といっていることが多いが、かわら版という呼称は、幕末以降(明治説もある)になってできたものだ。

 ――赤穂浪士の討ち入り後、翌日の朝に、「さぁさぁかわら版だ。大石内蔵助が主君の仇を討ったとよ。買った、買ったぁ」などと、浪士の活躍を知らせるかわら版が江戸の街中で売られたりするのは、明らかな嘘ということになる。
 そんな速報を伝えるメディアは、事件のあった元禄年間(1688年―1703年)に存在しない。また、当時はまだ「かわら版」とはいわなかった。
 では、なんと呼んでいたのか? 読売(よみうり)辻売(つじうり)絵双紙、あるいは単に絵双紙などと言っていたそうだ。

 かわら版は「瓦の版」で摺ったのだろうか。文字通り、最初は粘土を固め彫刻し焼きあげ、瓦としたものを版木代わりにして摺ったと言われるが、本当にそうなのだろうか、疑問を抱いている。

 現存する最古のかわら版は、元和元年(1615年)5月8日の大坂夏の陣の落城を伝える「大坂安倍之合戦之図」と「大坂卯年図」だと言われている。これは木版摺りだ。

 かわら版が扱った内容は、地震・火事・洪水などの天変地異、心中、仇討ち、犯罪事件から流行の唄本など種々雑多だった。政治ニュースはタブーだったが、幕末の黒船来航時には民衆の「知る権利」が官憲の取締りを凌駕し、禁は破られ、かわら版は大いに売れた。

 値段は、1枚4文から上下四丁の唄本の組物で16文程度、幕末のころには分量や内容が増え25文から30文ほどになったという。

 明治10年の西南戦争ごろまで、かわら版は発行されたが、新聞に取って代わられ、時代から消え去るのである。

0 件のコメント: