先の「ラッパが聞える東京球場」でも掲載の最中、ロッテ・オリオンズ球団の元オーナー中村長芳死去のニュースが流れた。連載中に登場人物が亡くなる、奇しき因縁があるかもしれぬ。
寄り道をして稲尾について書きたい。草野球音は日本プロ野球史上最高の投手だと思っている。連投に屈しない闘争心と持久力、外角低めの伸びやかな速球と切れるスライダー、絶妙といえる制球力と逆算投法といわれた投球術、さらに牽制球と守備の巧さ――心技体、すべてに超一流だった。
馬場の物語は1957年の日本シリーズに差しかかっているが、なんといっても稲尾の圧巻は翌1958年(昭和33)の同シリーズである。三度、巨人と西鉄の対戦になった。西鉄はいきなり3連敗と追い詰められたが、どっこい稲尾が3戦以降5連投し第5戦では自らサヨナラホームランをかっ飛ばすなど獅子奮迅の活躍(ひとりで4勝)で大逆転し、日本一3連覇を達成した。ここに「神様・仏様・稲尾様」という言葉が生まれた。
1958年日本シリーズ
巨人―西鉄 勝利投手 敗戦投手 本塁打
第1戦 9-2 大友 工 稲尾和久 豊田泰光 広岡達朗
第2戦 7-3 堀内 庄 島原幸雄 豊田泰光
第3戦 1-0 藤田元司 稲尾和久
第4戦 4-6 稲尾和久 藤田元司 広岡達朗 豊田泰光2発
第5戦 3-4 稲尾和久 大友 工 与那嶺要 中西太 稲尾和久
第6戦 0―2 稲尾和久 藤田元司 中西太
第7戦 1-6 稲尾和久 堀内 庄 中西太 長嶋茂雄
稲尾は6試合に登板して4勝2敗で当然のMVPに輝いた。長嶋は新人で第7戦の本塁打はランニングホームランであった。
1959年にはこの逆転日本一をクライマックスにした「鉄腕・稲尾和久物語」という映画が、西鉄球団の全面協力を得て東宝で作られている。稲尾が自身を演じ、白川由美、柳川慶子、志村喬、浪花千栄子らが出演した。「ゴジラ」などの特撮物で知られる本多猪四郎が監督を務めている。
× × ×
伝説の鉄腕の死を悼みながら、時計の針を1957年(昭和32)に巻き戻そう。
日本中が沸く日本シリーズだったが、馬場にはじっくり観戦する余裕などなかった。目が見えない原因が脳腫瘍であり、選手寿命を絶つことになるかもしれない。ようやく病院を回り回った末、東大病院に辿りつき、手術を決断する。当時の馬場は野球ができないことは死を意味していた。どうしても野球をやりたい。出術に賭けた。
合宿所の私物を整理し、背水の覚悟で病院の手術準備、ベッドの空きを待った。12月23日に執刀された。全身麻酔から覚めたのは手術後36時間も経っていた。病室の電球を見たとき、生還を確認し喜びが身体から沸いてきた。手術は成功した。しかし、当分入院加療が必要であり、野球をやるなどというスケジュールは病院側も持っていなかった。
ところが奇跡的かつ超人的な回復をみせる。31日の大晦日に退院に漕ぎつけ、正月には軽い運動が出来るまでになった。並みはずれた体力は、一般人の回復速度よりはるかに早く、1958年の兵庫・明石キャンプに初日から参加したのであった。
東京六大学野球で最多の通算8本塁打を記録したゴールデンボーイ長嶋茂雄の入団で、巨人キャンプは例年以上の活況を呈していた。(つづく)
*「 👍いいね!」
0 件のコメント:
コメントを投稿