2014年6月7日土曜日

綾瀬はるか主演「万能鑑定士Q」

*1974年「モナ・リザ展」は150万人動員の大盛況__。

綾瀬はるか主演の映画「万能鑑定士Qーモナ・リザの瞳」を観る。
佐藤信介監督 / 原作:松岡圭祐「万能鑑定士Q」シリーズ





出  演
・綾瀬はるか:凛田莉子
・松坂桃李:小笠原悠斗
・初音映莉子:流泉寺美沙
・ピエール・ドゥラドンシャン:リシャール・ブレ
・村上弘明:朝比奈尚幸

美術品から食材までなんでもござれ鑑定する「万能鑑定士Q」の店主・凜田莉子(りんだ・りこ)。その天才的な観察眼と推理力・記憶力を見込まれ、40年ぶりに来日することになった名画「モナ・リザ」の臨時学芸員に推薦される。フランス パリのルーブル美術館での試験にも合格し、「モナ・リザ」を知るため特訓を連日受けることになる。が、知識を身につけるにつれ原因不明の頭痛に悩まされ、鑑定力も鈍くなってくる。

×     ×     ×  

松岡圭祐さんの「万能鑑定士Q」シリーズは、
累計400万部の人気小説だそうです。
読んだことないけど… f^_^;)。

凜田莉子はいかにして万能鑑定士になったか。
沖縄・波照間の高校では成績表に「1」がズラリ並ぶ劣等生だった。
上京しリサイクルショップ社長から勉強法を伝授され、
おバカさんが天才に変身を遂げた。

莉子は並外れた感受性の持ち主で、
喜怒哀楽に結びつけて知識を覚える__
勉強法というか記憶術ですな。
この経緯(いきさつ)が興味を惹きました。

どうでもいい情報かもしれませんが、
波照間の高校教師役でアンジャッシュの児島一哉が出ていました。

綾瀬はるかの凜田莉子なかなかチャーミングです。

劇中では40年ぶりに「モナ・リザ」が来日することになっていますが、
レオナル・ド・ダビンチの名画の本邦初公開は、
1974(昭和49)年 東京国立博物館の「モナ・リザ展」だった。
4月20日から6月10日までの2ヶ月弱で
世界一有名な名画を観に連日大盛況、
1,505,239人を動員したそうです。
観ていませんが… f^_^;)。

@109シネマズMM横浜
2014年6月5日観映 #17
映劇の芸

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2014年6月5日木曜日

原貢さん さらば百日紅3

*似ている真夏に咲く花と己の姿__

原貢はなぜ百日紅を愛するのだろう?

理由を聞いたことがないし、語ったこともないので、
ここからは推測である。

百日紅の開花期は7月中旬から10月中旬の3ヶ月。
花持ちがよく100日も咲いているという。
漢名「百日紅(ひゃくじつこう)」命名由来でもある。
夏の花だ。

「ぼくの原点は高校野球です。春より夏の高校野球。夏の甲子園に向かってチームを作るのです」
貢は言う。

この男の勝負と百日紅の開花期が一致する。

予選の時期に咲き始め、
全国大会決勝後も凛と咲いている。
逞(たくま)しい。

甲子園成績
・三池工        出場1回  5勝0敗   優勝1回
・東海大相模  出場8回 12勝7敗  優勝1回 準優勝1回

春センバツと夏選手権
・春  3勝2敗 準優勝1回 勝率.600
・夏  9勝5敗 優勝2回    勝率.736

佐賀生まれの九州男児。
夏に強い。
実績からも明らかだ。

百日紅を見ながら闘志をかき立てていた。

真夏の炎天下に怯(ひる)むことなく咲く花の強さと、
己(おのれ)の姿を重ねていたと看(み)る。(文中敬称略)

×     ×     ×  

原貢(はら・みつぐ)1935年3月30日ー2014年5月29日
強豪監督原辰徳の父。巨人投手の菅野智之は孫(娘・詠美の子)。
佐賀県生まれ。鳥栖工業高校卒業。立命館大学中退。ノンプロ東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高校の野球部監督となる。1965年夏の甲子園(選手権大会)に初出場初優勝。66年から東海大学の松前重義に手腕を買われ東海大相模高校の監督となり、70年夏の甲子園で優勝し、全国屈指の強豪校に成長させた。77年息子の辰徳とともに東海大学監督となり首都大学リーグ戦7連覇を達成。81年に東海大相模に復帰。91年から東海大学で指揮をとりリーグ戦6度優勝。96年に勇退、その後東海大学系列校野球部総監督を務めていた。

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2014年6月3日火曜日

原貢さん さらば百日紅2

*炭鉱町の無名監督が全国区に__。

♪ 月が出た出た 月が出た
    三池炭坑の 上に出た
    あまり煙突が 高いので
    さぞやお月さん けむたかろう





三池といえば「炭坑節」だ。

もともと福岡県の炭鉱労働者が歌っていた民謡が、
1948(昭和23)年に芸者歌手 赤坂小梅が歌い全国区となった。

コロムビアの小梅のほか
ポリドールの日本橋きみ栄、
テイチクの美ち奴、
キングの音丸と
うぐいす芸者歌手の競作でさらに拍車がかかった。

「炭坑節」が日本中で盛んに歌われたころ
石炭は日本経済の主要エネルギーに君臨していた。

1959年原貢が三池工の野球部指導を始める。
炭鉱町に陰りが忍び寄っていた。

日本経済の主要エネルギー 石炭は、1950年代から60年代かけてその座を石油に奪われることになる。中東での大型油田の発見、大型タンカーの登場により経済性や安全性に優れ、輸送しやすさの面で石炭は石油の後塵を排し、炭鉱は次々に廃鉱への道を歩むことになる。エネルギー革命である。

1960年三池争議が起こった。不況となれば起こるリストラの波。大量解雇をめぐり戦後最大の労働争議に発展した。
1963年には大牟田市の三井三池三川鉱炭じん爆発事故では458名の死者、839名の一酸化炭素中毒患者を出す大事故となった。斜陽に追い打ちをかけることになる。

炭鉱は高度経済成長の日本にあって時代遅れの存在となった。

1965年夏____
そんな暗い話題ばかりに包まれた炭鉱町に
原貢率いる三池工の全国制覇は希望を灯したのだった。

炭鉱町の無名監督は全国区の監督となった。

福岡県大会から咲き始めた百日紅は、
日本一を果たし大牟田に凱旋したときも
褪(あ)せず咲き誇っていた。(文中敬称略)

×     ×     ×  

原貢さんのお別れの会は7月14日東京ドームで執り行われる。
好きな百日紅が咲き始めるころだ。

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2014年6月1日日曜日

原貢さん さらば百日紅1

*炭鉱町に咲いた三池工__  

その人を語る花がある。





西行なら「さくら」・
夏目漱石なら「虞美人草」・
太宰治なら「桜桃」・
石原裕次郎は「あじさい」で
島倉千代子は「からたち」のような。

それじゃなにかい、
渡哲也は「くちなし」で
大川栄策は「さざんか」か?

だからお前さんは浅はかだってんだ。
話が長くなりそうなので、進める。

原貢の場合は「百日紅」になる。
「百日紅(さるすべり)」は漢名「ひゃくじつこう」。

百日紅は夏の花だ。
炎天下にめげず咲き誇る。
樹に生命力が宿る《男花》だ。

「ぼくは百日紅が一番好きな花なんだよ。赤い花は持ちがよく百日も咲いているところからそう呼ぶんだ。うちの庭にもあるよ」
30余年前の晩夏、相模原市東林間の原家の居間で話してくれた。

貢は虚空の一点を見つめていた。
あの夏を思い出したのだと草野は確信した。

あの夏__1965(昭和40)年。
福岡県立三池工業高校は夏の甲子園、全国高校野球選手権大会に
初出場で初優勝の快挙を果たした。

福岡大牟田市の凱旋パレード。
大牟田市の当時の人口21万人。
沿道には人口を超える30万人の観衆が集まった。
周辺の市から詰めかけた人も多かった。
それだけ関心が高かった。

手をふる大観衆はどれも笑顔だった。

パレードを観た7歳の辰徳は母・勝代に興奮して叫んだ。
「お父さん、すごいことしたばい」

炭鉱町に咲いた三池工__
そんな新聞記事が踊った。

百日紅は咲いていた。(文中敬称略)

×     ×     ×  

福岡県立三池工高、神奈川・東海大相模と2度にわたり夏の甲子園大会に優勝、またプロ野球巨人原辰徳監督の父である原貢(はら・みつぐ)さんが、2014年5月29日亡くなった。79歳だった。


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