2012年9月27日木曜日

マリー・アントワネット物語展

フランスの歴史上で最も愛され最も憎まれた王妃――。

 マリー・アントワネットといえば、優美で浪費家でヴェルサイユ宮殿で暮らし、フランス革命で断頭台の露と消えた王妃――なんてイメージしか持ち合わせていない男が、横浜駅東口のそごう美術館で「マリー・アントワネット物語展」を観る。開催2012915日~1118日。



★マリー・アントワネット(1755年―1793年)
 フランスの歴史上で最も愛され最も憎まれた王妃。
 神聖ローマ帝国皇帝フランツ・シュテファンとマリア・テレジアの末娘として生まれ、14歳で輿入れ。その美貌と気品で民衆から熱狂的に愛されたが、その後の贅沢三昧で貧しさと飢えに苦しむ大衆から憎まれながら、フランス革命の渦に巻き込まれ、37歳の若さでギロチン台で断首刑となった。

 
王妃ゆかりの家宝や絵画、工芸品なぢ史料約120点のほか再現した宮廷衣装を展示、ライフスタイルやファッションの焦点をあてながら彼女の人生をたどる。

本展構成
・プロローグ:~ハプスブルクからフランスへ、14歳のプリンス~
・第1章:ヴェルサイユの華~フランスが恋した王妃~
・第2章―1:彼女の愛した美~マリー・アントワネット様式~
・第2章―2:彼女の愛した美~ファッション~
・第3章:はかなく散った永遠の王妃

×  ×  ×

「パンがなければ、お菓子を食べればいい」という言葉をアントワネットが吐いたといわれるが、どうやら敵意や悪意の満ちた作り話らしい。
 一般大衆の気持は移ろいやすい。熱しやすく冷めやすい。冷めた後に憎しむに変わることもある。
 美しい愛すべき王妃が悪女になった。
 アントワネット自身は変わらなかった。変わったのは一般大衆の心だったと推測する。

悪女より過激な『毒婦』という言葉がある。
 「毒婦高橋お伝」(1958年)なんて、えらく昔、映画があった。ガキのころ観た。アダルトっぽい内容だったな。エログロで売った新東宝の大蔵貢さんの製作だから……。
 物語では、お伝も何人もの男をたらしこみ毒牙にかけたが、実際は薄幸な女だったそうな。
 毒婦の方が一般大衆には面白い。一般大衆の興味から話が生まれる。
 虚構が毒婦を作った。

  クレオパトラや楊貴妃も悪女といわれることもある。
 歴史上の人物は、すべからく史実と虚構を織り交ぜて語られていると知るべきである。

2012925日観覧
美博の館#38

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2012年9月23日日曜日

小野小町がいた天橋立

出雲大社・天橋立12日ツアー4

 天橋立は股のぞきに挑む。
 ケーブルカーで傘松公園山頂へ。
 えいやー、股の間に顔を突っ込む。
 空と天橋立の砂州と海が、天地逆さとなる。
 絶景かな、絶景かな。
――5月に宮島(厳島神社)、6月に松島。ジャンジャジャーン、日本三景制覇! ちょっぴり達成感がした瞬間だった。



 ガイドさんが言うには、小野小町が天橋立股のぞき第1号だそうだ。傘松山からの天橋立の景観を愉しんでいたら、小用をもよおし、その折のぞいたら絶景が視界に映ったとか。『俗説』っぽい由来だが、一度聞くと記憶に残る話ではある。

 もうひとつガイドの話から。
 天橋立は京都・宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6kmの砂州。
 天下の名所を訪ねられた昭和天皇に、「あれが阿蘇海です」と説明すると「あぁ、そうかい」といわれたとか。
 ここで、聴いていた見学者はどっと笑っちゃう。
 これも俗説っぽい。
 九州旅行で阿蘇山でも別のガイドさんが同じようなことを言っていた。

 傘松公園山頂から大江山をかすかに望む。
★大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立
 小倉百人一首に採られている小式部内侍(こしきぶのないし)の和歌。彼女は和泉式部の娘。歌合わせの席で、年若い歌人で母親の七光といわれていた小式部内侍が藤原定頼にからかわれたときの返歌である。
 
 小野小町に話を戻せば、
・紀元前のプトレマイオス朝最後の女王・クレオパトラ
8世紀唐の玄宗の妃で傾城(けいせい)の美女・楊貴妃
とともに『世界三大美女』といわれるが、これって日本だけの俗説と推測する。
 小町さんには悪いが、先のお二人ほど世界的知名度がないから、ね。

 オチのない俗説三題噺でしたな(笑)。
2012914日見学
美博の館#37

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2012年9月19日水曜日

桂小五郎がいた但馬・出石

出雲大社・天橋立12日ツアー3

 「大したもんやありませんけどな……」
と、年配の女性が道筋を丁寧に教えてくれた。

但馬の出石(いずし)で探したのは、桂小五郎潜居跡だった。地図を見ながら進んでみたが、どうやら通り越したようだ。行商の軽トラックで野菜を買っていた件の女性に、「桂小五郎が身を隠していた住まいがあるらしいのですが、このあたりにありませんか」と尋ねたのだった。

なるほど1.5mほどの記念碑がぽつりとあった。見過ごしていた。迂闊にも、さっき通ったばかりだった。それほど目立たぬ、地味な場所だった。



1864年(元治元年)の蛤御門の変で長州藩は敗れ、桂小五郎がお尋ね者となった。乞食を装い京で逃亡生活をしていたが、幕府の手がいよいよ及ぶ寸前、但馬の出石に逃れた。広江孝助と名乗り荒物屋をしながら潜伏していた。京の芸妓・幾松(維新後に結婚、木戸松子)も訪ねたことのある潜居跡である。

1866年に薩長同盟が結ばれ、状況は好転し、倒幕へ時代の舵はきられた。桂は明治政府では版籍奉還・廃藩置県の改革に力を発揮した。

今は碑があるだけではあったが、ここに西郷隆盛、大久保利通とともに『維新三傑』のひとり桂小五郎(木戸孝允)がいたのか、と往時を忍び歴史好きには愉しい発見であった。

 城下町の出石はやたらと蕎麦屋が多かった。
 なるほど皿そばは美味かった。
2012915日見学
美博の館#36

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2012年9月18日火曜日

横山大観がいた足立美術館

*出雲大社・天橋立12日ツアー2

 足立美術館といえば、横山大観だ。
 絢爛豪華たる六曲一双の屏風絵。
 2階の大観コーナーに入ると、鮮やかな紅葉が視界に飛び込んでくる。
 そこは真紅の紅葉と群青の水、清冽な世界だった。
――足立美術館の横山大観作品は130点とか。質量ともに屈指の館。四季ごとに作品の衣替えしているそうで、現在は秋の展示中。その目玉といえる「紅葉」を拝したのは幸運であり、眼福にあずかった。



生誕125年・榊原紫峰の特集が展示されていた。

 大観コレクションと双璧をなすのが、日本庭園。米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」で9年連続「庭園日本一」に輝いているとか。

★足立全康(あだち・ぜんこう)
 1899年―1990年。島根県安来の出身。一代で財を築く。1977年(昭和52年)に横山大観の「紅葉」を観て感銘を受け、美術品蒐集に努める。71歳の1970年に足立美術館を設立。
 大阪で開かれた万国博覧会の用地を売却して得た莫大な資金で足立美術館は建てられたそうな。

大阪万博といえば、
 ♪こんにちは こんにちは 世界の国から
なんて、三波春夫が歌っていましたっけ。坂本九、吉永小百合も競作。作詞は島田陽子、作曲は中村八大。岡本太郎作の「太陽の塔」なんてえのもありました。

思えば、1969年の東京オリンピックと1970年の大阪万博は、日本が太平洋戦争の敗戦から復興を遂げ、経済の高度成長を世界に示した出来事でしたな。大学生でした。
 ♪遠き昭和の まぶしい時代
※敬称略
2012913日観覧
美博の館#35

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