2023年6月17日土曜日

フォーク杉下vsジャイアント馬場:レジェンドの交差点

*フォークの神様と異名をとった中日ドラゴンズの名投手 杉下茂さんが12日亡くなった。97歳だった。


×     ×  

フォーク杉下vsジャイアント馬場

:レジェンドの交差点___(敬称略)    


1957年(昭和32年)10月23日 

後楽園球場 ダブルヘッダーの第1戦

セ・リーグ優勝を決めた読売ジャイアンツ水原円裕(茂)監督は消化試合に、期待の身長2メートル馬場正平(後の東洋の巨人プロレスラー ジャイアント馬場)をプロ初先発に起用すれば、中日ドラゴンズ天知俊一監督は200勝に王手をかけたベテラン杉下茂をマウンドに送った。



野球小僧だった私は小学4年生、まだ家にテレビがなかった。近所の電気屋さん店前の街頭テレビで真剣に視ていました。記憶に残っています。ジャイアンツファンで馬場を応援していましたっけ。


巨人スタメン  

(遊)広岡達朗

(ニ)内藤博文

(右)坂崎一彦

(左)宮本敏雄

(中)岩本尭

(捕)藤尾茂

(一)岩下守道

(三)土屋正孝

(投)馬場正平


オーダーでお気づきだろう。長嶋茂雄も王貞治も見当たらない。長嶋登場は翌1958年、王は1959年の入団を待たなければならない。


中日の当日スタメンは残念ながら調べきれなかったが、以下のメンバーでシーズンを戦っていた。

(中)本多逸郎

(三)岡崎博治

(ニ)井上登

(一)西沢道夫

(右)原田督三

(左)杉山悟

(遊)牧野茂

(捕)吉沢岳男

(投)中山俊丈

     大矢根博臣


両軍オーダーに懐かしい顔ぶれが並んでいますね。


さて試合は杉下と馬場が好投、投手戦となったが、5回1失点で馬場が降りると、中日打線が爆発し10-0でドラゴンズが勝ち、杉下が200勝目を飾った。


杉下茂の通算成績

525試合215勝123敗 防御率2・23


馬場はプロレスラーとして巨体を生かし大成したが、この試合がプロ野球最後の登板となった。


馬場正平の通算成績

3試合0勝1敗 防御率1・29


200勝達成とプロ野球で唯一痕跡を残した1敗___

レジェンド二人が交差した一瞬を心に刻み込みたい。


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