シリーズ映画Ⅳ
SMAPの中居正広が坊主になった話が発端だった。
「女の坊主がプロになると、アマ(尼)になる」。その昔、大学の宗教学の講義で教授がぽつりと言った。どっと沸いた。40年以上も記憶に残るジョークはそうはない。古典の域といえる。今、思い出したので書いてみた(だから冗漫な文章になる、という「突っ込み」が聴こえる)。
坊主とは僧侶のこと、また毛のない人をさすが、ぞんざいに、軽々に言う言葉かもしれない。やはり丸刈りと書いたほうが、穏当だろう。誤解・不快を招く表現は厳に慎みたい、と心した――と書いたばかりである。賢人は過ちを繰り返さない(おまえは賢人か)。
余談を切り上げ、本題に進む。
中居が丸刈りになったのは、役作りで、テレビ草創期の秀作ドラマ「私は貝になりたい」を同名タイトルでリメークした映画(福沢克雄監督)のためだ。その記者会見を電気紙芝居や大衆かわら版で見たのだった。
恥かしながら、福沢克雄のことは調べて初めて知ったのだが、中居正広主演の「砂の器」、明石家さんま主演の「さとうきび畑の唄」、木村拓哉主演の「GOOD LUCK!!」、「華麗なる一族」など話題となったTBSテレビのドラマ演出を手掛けている。慶応高校―慶応大学ではラグビー選手としても全国的に有名であり、曽祖父は慶応大学の創始者、福澤諭吉だそうだ。お坊ちゃまであり、文武両道に優れた、羨ましいくらいの俊英なのである。
「ドラマのTBS」の礎を築いたのが、1958年(昭和33)に放送された「私は貝になりたい」である。フランキー堺(1929年―1996年)主演、岡本愛彦演出、橋本忍脚本でラジオ東京テレビ(東京放送=TBS)が制作した。
――理髪店を営む男が召集され、戦地で米兵捕虜を殺すように上官から命令を受けるが、殺せず怪我を負わす。終戦後、捕虜虐待の罪で逮捕され、裁判を受けるが、判決は絞首刑となる。遺書に、「人間は嫌だ。生まれかわるなら、私は貝になりたい」と綴り、男は絞首台に向かう。
1958年の芸術祭大賞を受賞した記念として、その年の暮れに再放送された「私は貝になりたい」を草野球音は観た。ませた小学生は甚(いた)く感動したのを覚えている。
翌年には東宝で映画化され、フランキー堺が主演したが、妻の役はテレビの桜むつ子(1921年―2005年)から新珠三千代(1930年―2001年)に替わっていた。1994年(平成6)にはテレビで所ジョージと田中美佐子で、今回の映画では中居正広と仲間由紀恵のコンビとなっている。
さてフランキー堺のこと、シリーズ映画のことである。
フランキーは麻布中学を経て慶応大学に進み、戦後、進駐軍のキャンプでジャズドラムマーをして人気となりプロの道へ入る。その後俳優に転向し、1957年(昭和32)には傑作といわれる「幕末太陽伝」(日活・川島雄三監督)に居残り佐平次役で主演している。この映画には石原裕次郎(1934年―1987年)も高杉晋作役で出演している。コメディもシリアスもこなす俳優だった。
「駅前―」「社長―」のシリーズもの喜劇映画の出演で知られる。どちらも主役は森繁久弥だが、脇役のフランキー堺が面白いのだ。
「駅前―」では、森繁のほかにフランキー堺、伴淳三郎(1908年―1981年)が主要レギュラーだった。淡島千景、淡路恵子、池内淳子、大空真弓らの女優がからみ、さらに三木のり平(1924年―1999年)、山茶花究(1914年―1921年)の達者な役者が出ていた。
フランキーは若い旅館の主で、森繁、伴淳との絶妙の掛け合いが楽しめた。
1958年から1969年までに全24作品が、東京映画製作、東宝配給で上映された。原作は井伏鱒二(1898年―1993年)の「駅前旅館」だそうだ。豊田四郎(1906年―1977年)、久松静児、佐伯幸三らが監督を務めている。
駅前旅館(1958・豊田四郎))
喜劇・駅前団地(1961・久松静児)
喜劇・駅前弁当(1961年・久松静児)
喜劇・駅前飯店(1962・久松静児)
喜劇・駅前茶釜(1963・久松静児)
喜劇・駅前女将(1964・佐伯幸三)
喜劇・駅前怪談(1964・佐伯幸三)
喜劇・駅前音頭(1964・佐伯幸三)
喜劇・駅前天神(1964・佐伯幸三)
喜劇・駅前医院(1965・佐伯幸三)
喜劇・駅前金融(1965・佐伯幸三)
喜劇・駅前大学(1965・佐伯幸三)
喜劇・駅前弁天(1966・佐伯幸三)
喜劇・駅前漫画(1966・佐伯幸三)
喜劇・駅前番頭(1966・佐伯幸三)
喜劇・駅前競馬(1966・佐伯幸三)
喜劇・駅前満貫(1967・佐伯幸三)
喜劇・駅前学園(1967・井上和男)
喜劇・駅前探検(1967・井上和男)
喜劇・駅前百年(1967・豊田四郎)
喜劇・駅前開運(1968・豊田四郎)
喜劇・駅前火山(1968・山田達雄)
喜劇・駅前桟橋(1969・杉江敏男)
「社長―」は、浮気心のある社長役の森繁久弥、正直で融通が利かぬ秘書の小林桂樹、慎重派な部長の加東大介、宴会好きの部長の三木のり平に、大口の取引相手のフランキー堺が繰り広げるコメディだった。
フランキーは毎回キャラクターを変えて登場する。中国人であったり、ハワイの日系人であったり、男色の若社長であったり、するのだが、その役作りが徹底していて馬鹿に笑えるのだった。
「社長―」シリーズ監督は、加東大介の「大番」シリーズも手掛けた千葉泰樹(1910年―1985年)、「早撮りの巨匠」渡辺邦男(1899年―1981年)、杉江敏男(1913年―1996年)らが務めたたが、松林宗恵が最も多くメガホンを握っている。
へそくり社長(1956・千葉泰樹)
続・へそくり社長(1956・千葉泰樹)
はりきり社長(1956・渡辺邦男)
社長三代記(1958・松林宗恵)
続・社長三代記(1958・松林宗恵)
社長太平記(1959・松林宗恵)
続・社長太平記(1959・青柳信雄)
サラリーマン忠臣蔵(1960・杉江敏男)
続・サラリーマン忠臣蔵(1961・杉江敏男)
社長道中記 (1961・松林宗恵)
続・社長道中記(1961・松林宗恵)
サラリーマン清水港(1962・松林宗恵)
続・サラリーマン清水港 (1962・松林宗恵)
社長洋行記(1962・杉江敏男)
続社長洋行記 (1962・杉江敏男)
社長漫遊記(1963・杉江敏男)
続社長漫遊記(1963・杉江敏男)
社長外遊記 (1963・松林宗恵)
続社長外遊記 (1963・松林宗恵)
社長紳士録(1964・松林宗恵)
続社長紳士録(1964・松林宗恵)
社長忍法帖 (1965・松林宗恵)
続社長忍法帖(1965・松林宗恵)
社長行状記 (1966・松林宗恵)
続社長行状記 (1966・松林宗恵)
社長千一夜 (1967・松林宗恵)
続社長千一夜(1967・松林宗恵)
社長繁盛記(1968・松林宗恵)
続社長繁盛記(1968・松林宗恵)
社長えんま帖(1969・松林宗恵)
続社長えんま帖(1969・松林宗恵)
社長学ABC(1965・松林宗恵)
続社長学ABC(1965・松林宗恵)
以下、蛇足ながら‥‥。 「社長―」シリーズの三木のり平が笑える。お決まりは、「パーッと、いきましょう」と宴会をセッティングし、その席で珍芸を見せるのだった。仕事より宴会を生き甲斐にする部長役が面白かった。
軽妙自在な演技力もさることながら、演出家としての腕も一流だった。森光子の舞台「放浪記」を手掛けている。本業の落語活動を中心に活動した古今亭志ん朝(1938年―2001年)も三木のり平の舞台には出演していたという。
本名は田沼則子(たぬま・ただし)。女性の名前と間違えられることが頻繁であった。「則子」という名前のため、最後まで召集令状が届かなかったという逸話を聴いたことがあるが、ホントの話だろうか。
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿