2010年11月11日木曜日

池波正太郎「真田太平記(十二)」

真田家憎しの秀忠の謀略とは
 池波正太郎の「真田太平記(十二)雲の峰」(新潮文庫)を読む。長い真田一族の物語の完結巻。














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大御所・徳川家康が亡くなると、2代将軍の秀忠は幕府の体制強化策として、諸大名の改易・国替えに努めた。真田昌幸・幸村の抵抗にあい、関ヶ原の決戦に遅参し家康から叱責を受けた秀忠は、その屈辱を忘れない。信之への風当たりは強くなった。
 信之が敵である幸村と京の小野のお通邸で密会した事実をネタに、信之の側近に送り込んだ隠密の馬場彦四郎をつかい、秀忠は真田家取り潰しを謀る……。

 草の者のただ一人の生き残りお江が信之に仕え、お家の危機に立ち向かう。

目次:第12巻雲の峰
・戦後
・上田城にて
・雲の峰
・笹井丹之助
・対決
・遺品
・告白
・時勢
・初雪
・別れゆくとき

×  ×  ×

 側近だった馬場彦四郎が実は徳川の隠密だった。信之が小川治郎右衛門をつかい、馬場を罠にかける陰謀が、手がこんでいる。

 池波さんの「後書」にあるが、信之は93歳の長寿を全うする。そのとき徳川家は家康、秀忠、家光、4代家綱の時代になっていたのです。戦国武将としては真田幸村の人気が根強いけど、池波さんは信之の生き方により魅力を感じていたようですね。

 全12巻通じて幸村の信之評がよく出てきます。
「兄上は天下を治める器量を持っておられる」
「あのようなひとは、めったに、この世に生まれるものではない」
 父の昌幸や徳川秀忠と比較して「父上など足許に寄れぬ」「秀忠など足許に寄れぬ」と人物を評価している。

 8月中旬から読み出した「真田太平記」を3カ月かけて読了しました。心地よい読後感です。「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3大シリーズに伍す池波作品です。嶋津義忠の「真田疾風録 信之と幸村」(PHP文庫)がきっかけで「真田太平記」に挑戦したわけですが、戦国モノをこれからも読んでみたいですな。
2010年11月11日読了

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2010年11月9日火曜日

池波正太郎「真田太平記(十一)」

幸村と信之が小野のお通邸で対面
 池波正太郎の「真田太平記(十一)大坂夏の陣」(新潮文庫)を読む。
















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大坂冬の陣の和睦がなると、徳川家康によって大坂城の濠は埋め尽くされた。堅固な城が無防備な裸城となった。牢人を抱える豊臣家の動きが不穏と、家康は再び戦に持ち込む。夏の陣である。
 決戦を前に家康は真田幸村を味方にしようと、信之に交渉を促す。信之と幸村は京の小野のお通邸で対面するが、幸村の「家康の御首(みしるし)を盗る」決意は揺るがない。
 幸村は死を覚悟し戦に臨む。家康の陣営深く切り込むが、家康を討つことを果たせなかった。激戦に満身創痍の幸村は死に場所を求め彷徨(さまよ)い、向井佐平次の遺体と出くわす。佐平次を抱きながら、幸村は息絶えるのだった。

目次:第11巻大坂夏の陣
・兄弟
・恋
・婚礼
・大坂夏の陣
・血戦
・落城

×  ×  ×

 信之が恋心を抱く小野のお通は、詩歌、書画、琴と万芸に秀で、秀吉、家康そして朝廷とも交わりがあった謎の才女として描かれています。
 第12巻:雲の峰の冒頭で、幸村の遺髪を、鈴木右近を通じて信之に届けさせています。
 遺髪はどのようして手に入れたものなのでしょうか。隠然たる力のあるお通だけに可能だったのでしょうか。最後の巻を興味深く読み進みたいと思います。
2010年11月8日読了

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2010年11月4日木曜日

伝説のアンダースロー安藤元博

早慶6連戦の連投を記憶に留めたい
 2010年の六大学野球秋季リーグ戦は、早慶での優勝決定戦にもつれ、早稲田が斎藤佑樹の好投で優勝を飾った。早慶戦の優勝決定戦は1960年(昭和35年)以来50年ぶりだった。

×  ×  ×

 13歳の野球少年だった。スポーツ新聞好き。朝、新聞は野球欄から読むことが日常だった。あのときの野球記事、いやスポーツ欄は、あの男でもちきりだった。
 伝説のアンダースロー安藤元博である。  ※敬称略

 昭和35年・1960年は早慶6連戦の年だった。
 いろいろな出来事があった。
 日米安全保障条約の締結、安保反対デモ、岸信介内閣の退陣、池田隼人の総理就任、右翼少年山口二矢による社会党委員長・浅沼稲次郎刺殺事件、そして石原裕次郎と北原三枝の結婚……。

 ♪アカシアの雨に打たれて
  このまま死んでしまいたい
 ビブラートを効かせない乾いた西田佐知子の歌声が巷に流れていた。60年安保の象徴的な曲といわれた「アカシアの雨がやむとき」(作詞・水木かおる:作曲・藤原秀行)だ。

 それでも草野球音の一番は早慶6連戦の安藤元博だった。

早慶6連戦
 早稲田の監督は石井連蔵、慶応は前田祐吉だった。早稲田のエースは安藤元博(東映)、バッテリーを組む捕手は野村徹、打の中心は徳武定之(国鉄)。慶応の投は左腕の清沢忠彦と角谷隆、捕手は大橋勲(巨人)、打線には榎本博明、安藤統男(阪神)、渡海昇二(巨人)と実力者揃いだった。

・第1戦:11月6日神宮
早稲田000 001 100=2
慶 応000 000 001=1
勝利投手・安藤元―野村 敗戦投手・清沢、角谷、丹羽―大橋

・第2戦:11月7日神宮
慶 応120 000 001=4
早稲田001 000 000=1
勝利投手・角谷―大橋 敗戦投手・金沢―野村

・第3戦:11月8日神宮
早稲田100 000 011=3
慶 応000 000 000=0
勝率投手・安藤元―野村 敗戦投手・清沢、丹羽―大橋

・優勝決定戦:11月9日神宮
早稲田000 000 001 00=1
慶 応010 000 000 00=1
W安藤元―野村 K角谷―大橋

・優勝決定戦再試合:11月11日神宮
早稲田000 000 000 00=0
慶 応000 000 000 00=0
W安藤元―野村 K角谷、清沢―大橋

・優勝決定戦再々試合:11月12日神宮
早稲田020 010 000=3
慶 応 000 010 000=0
勝利投手・安藤元―野村 敗戦投手・角谷、清沢、三浦、丹羽―大橋

 安藤元博は6連戦中5試合に完投、第3戦からは4戦連続の完投で実に49イニング、564球を投げ抜いた。
 わずか1週間で5完投、49イニングで3失点という離れ業を演じた。脅威のスタミナ、見事な精神力といえる。

 1962年に東映に入団。新人で13勝8敗、防御率2.32、同じ新人の尾崎行雄ともにリーグ優勝に貢献し、阪神との日本シリーズでも2勝を稼ぐ活躍を見せた。その後はパッとせず、1965年の巨人を最後に現役引退した。プロ通算成績は17勝16敗だった。

 1996年、56歳の若さで亡くなっている。

×  ×  ×

 お腹のあたりでグラブと右手を抱え込んでタメを作る投球フォーム。あのアンダースローが瞼に焼きついている。
 斎藤佑樹から安藤元博に想いを馳せた。

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2010年11月3日水曜日

池波正太郎「真田太平記(十)」

真田丸に拠って徳川勢を打ちのめす
 池波正太郎の「真田太平記(十)大坂入城」(新潮文庫)を読む。















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 方広寺の鐘銘に難癖をつけ、徳川家康は豊臣家を開戦に追い込む。真田幸村は九度山を密かにに脱出し、大坂城に入城し、外堀の外に真田丸を築く。
 開戦当初から豊臣家の重臣たちは和平工作を画策する。幸村は真田丸に拠って徳川勢を打ちのめす。幸村の勇名が轟く。が、決戦は本格化せず、和睦し大坂冬の陣は終息する。

目次:第10巻大坂入城
・且元退去
・大坂入城
・大坂冬の陣
・真田丸

×  ×  ×

 真田幸村が戦に臨む兵士に酒と餅を与え、「この人のためならば、いつ、死んでもよい」と心服させる場面がある。池波さんの戦争体験からの言葉で重みがある。

―太平洋戦争中に、筆者は海軍にいたが、
 (この人と、いっしょならば、よろこんで死ねる)
 とおもった上官は二人しかいなかった。

  兵は、直属の上官しだいなのだ。
 直属の上官が愚劣な場合は、
 (よろこんで死ねない……)
 ものなのである。

 幸村の戦将としての器の大きさを描いているが、池波さん自身もかくありたいと実践していたんじゃないかなぁ。
2010年11月3日読了

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