2010年6月29日火曜日

司馬遼太郎「人斬り以蔵」

佐藤健の好演が光る
 佐藤健の演じる岡田以蔵がいい。純粋さや孤独、劣等感など以蔵の内面を表現しているではないか。従来の以蔵役は、猛々しい偉丈夫というイメージだが、ナイーヴな姿を活写している。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の話である。

×  ×  ×

 「龍馬伝」を観ながら、司馬遼太郎の「人斬り以蔵」(新潮文庫)を読む気になった。
・鬼謀の人
・人斬り以蔵
・割って、城を
・おお、大砲
・言い触らし団右衛門
・大夫殿坂
・美濃浪人
・売ろう物語
以上8編の短編が収められている。

 表題「人斬り以蔵」はそのうちの1作。幕松の京の街で『人斬り』と怖れられた土佐藩の足軽出身の岡田以蔵の物語だ。
 土佐の藩士は上士、郷士、足軽の3階級に分かれる。身分差は明確で、足軽は雨がふってもはだしで、高下駄がはけない。郷士は酷暑のころでも日傘がさせない。上士には、郷士と足軽に対しては「無礼討差許」という他藩にない特権が与えられていた。
 剣術など習える身分でない以蔵に、武市半平太は手をさしのべる。道場での稽古を許し、江戸への剣術修業へも同行させる。幕末の剣豪、鏡新明智流の桃井春蔵の道場「士学館」にも通わせる。武市を師として崇拝、盲信する以蔵は、やがて殺人にも手を染めていく。

 司馬遼太郎はこの短編を、
――不幸な男がうまれた。
と書き出している。

×  ×  ×

 1969年(昭和44年)勝プロダクション製作の「人斬り」という映画があった。監督は五社英雄。岡田以蔵は勝新太郎、武市半平太に仲代達矢、坂本龍馬には石原裕次郎という豪華配役だった。
 薩摩示現流の人斬り田中新兵衛は作家の三島由紀夫が演じていた。三島の切腹シーンが壮絶だった。彼は1970年11月15日、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたのだった。

×  ×  ×

 さて小説の最後。武市の切腹は腹を三文字に割いて検視の役人も目をみはるみごとさだった。武士の扱いを受けない以蔵は曝し首だった。
 師匠の切腹のころは首だけの以蔵が、雁切河原の獄門台の上で風に吹かれていた。

「龍馬伝」では、7月11日放送で佐藤健の岡田以蔵は処刑されることになるそうだ。

2010年6月24日木曜日

キャピー原田:ウォーリー与那嶺

広田、ビル西田、エンディ宮本も獲得
 日米球界の橋渡し役として活躍したキャピー原田が亡くなった。2010年6月5日のことだった。88歳だった。
 彼は米国生まれの日系二世で、太平洋戦争では米陸軍に志願し、敵国語(日本語)情報将校として従軍した。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)に配属され、サンフラシスコ・シールズと日本プロ野球との親善試合の実現に貢献した。退役後は読売ジャイアンツの国際担当として与那嶺要など日系人選手を獲得し、サンフランシスコ・ジャイアンツの極東スカウトとして村上雅則の獲得し日本人初のMLBプレーヤー誕生に尽力した。

×  ×  ×

C原田とゆかりの野球人たち
鶴岡一人:1931年鶴岡が広島商業時代、センバツで優勝し米国遠征した際、日系人チームでプレーしていた原田と対戦した。以来の付き合い。今年5月のエンゼルスのジャパニーズデーでも「日本に行って鶴岡さんの墓参りがしたい」と話していた。

正力松太郎:戦後の日本プロ野球復興策として2リーグ制を正力に進言したという。

与那嶺要:巨人の国際担当時代に、SF・シールズのウォーリー与那嶺(写真)を獲得した。広田順、ビル西田、エンディ宮本(敏雄)と続々と入団させている。

村上雅則:1964年に南海の選手として米野球留学したが、秋に大リーグSF・ジャイアンツに昇格し、1勝1Sを記録した。翌年も契約したが、南海とSFとの間で保有権をめぐる争いが起った。内村祐之コミッショナーが仲介し、1965年のシーズン終了後に南海に復帰することで決着している。当時のSF極東スカウトの原田が、日本人初のMLBプレーヤーマッシー村上の誕生に一役買っている。

 またプロレスラーの力道山とも親しく、リキ・エンタープライズの副社長を務めたこともある。

×  ×  ×

 また歴史を語ることのできるご仁の死――。昭和は遠くになりにけり。

2010年6月23日水曜日

浮世絵入門:山種美術館

『東海道五拾三次』が一挙に
 東京駅から京都駅までは、鉄道距離にして513.6km。最速の新幹線のぞみ号に乗れば2時間10分ほどだが、江戸時代は草鞋(わらじ)に手甲脚絆姿で歩いて約2週間かけて旅したという。
 お江戸日本橋から京の街までに設けられた宿駅は53ある。
 浮世絵の歌川(安藤)広重がこの宿駅を描いたシリーズ『東海道五拾三次』は、天保4年(1833年)保永堂から出版された。旅情をかきたてる絵筆の冴えは評判をよび、ベストセラーとなった。

 その53宿駅と振り出しの日本橋、最終の京都・三条大橋まで全55図と画帖装用の題字が一挙に観賞できる展覧会――「浮世絵入門」展(2010年5月29日~7月11日)が東京・広尾の山種美術館で催されている。

 夜の雪景色の「蒲原」や夕立の山中を描いた「庄野」など名作が揃い踏みだ。
 歌川広重のほか鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎の六代絵師の作品が展示されている。
主な作品
・鈴木春信:梅の枝折り/柿の実とり
・鳥居清長:当世遊里美人合 橘妓と若衆
・喜多川歌麿:青楼七小町 鶴屋内 篠原/美人五面相 犬を抱く女
・東洲斎写楽:二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉/三代目坂田半五郎の藤川水右衛門
・葛飾北斎:冨嶽三十六景 凱風快晴

 いずれも名品揃い、眼福にあずかった。

2010年6月22日観覧

2010年6月22日火曜日

藤沢周平「決闘の辻」

不敗神話の危機に武蔵の一計とは
 藤沢周平の「決闘の辻 藤沢版新剣客伝」(講談社文庫)を読む。死を賭して決闘に臨む歴史に残る剣豪たちを藤沢流の視点で描く。

・二天の窟(宮本武蔵)
・死闘(神子上典膳)
・夜明けの月影(柳生但馬守宗矩)
・師弟剣(諸岡一羽斎と弟子たち)
・飛ぶ猿(愛洲移香斎)
以上の5編を収録している。

×  ×  ×

「二天の窟」は、人間臭い宮本武蔵が登場する。武蔵といえば生涯不敗の剣聖、ストイックな剣豪というのが一般的なイメージだが、ちょいと違う。
 五輪書を著わす直前。老境の武蔵は肥後細川家で客分として遇されていた。鉢谷助九郎という不遜な若者が勝負を挑んできた。立ち会った武蔵は勝てないと感じ、引き分けの形でその場をつくろった。その後、武蔵に勝ったと喧伝する鉢谷助九郎の風評が武蔵に届く。このままでは不敗神話が崩れる。老いた剣豪には耐えられない。そこで一計をめぐらす……。

「師弟剣」は剣の師と弟子をめぐる物語だ。独自の剣法で流派を創始した諸岡一羽斎が癩病(らいびょう)に侵される。不治の病である。彼には三人の高弟―根岸兎角、岩閒小熊と土子泥之助がいた。身きりをつけた兎角が師のもとをさる。一羽斎の身の周りの世話をしていた女おまんもいなくなっていた。やがて兎角が別の流派を名乗り、江戸で評判となっているという風評が伝わる。師の死後、師の名誉を守るため兎角を討つことを小熊と泥之助は誓う……。

 池波正太郎の「剣法一羽流」(文春文庫)では諸岡一羽斎と弟子を扱っており、兎角が秘伝書を持ち逃げする設定で書かれている。時代小説好きなら比較して読むのも一興だと思う。

「死闘」は伊藤一刀斎の後継をめぐる神子上典膳と善鬼が争う。「夜明けの月影」は柳生但馬守宗矩の政治感覚の鋭さを、「飛ぶ猿」は父の敵、愛洲移香斎を探す旅に出た住吉波四郎を描いている。

2010年6月21日読了新装版 決闘の辻 藤沢版新剣客伝 (講談社文庫)

2010年6月17日木曜日

伊藤若冲展:千葉市美術館

最晩年の作「象と鯨図屏風」
 「象と鯨図屏風」は大胆かつ奇抜な構図、白と黒のコントラストが見事だ。六曲一双(各縦1.59㍍、各横3.54㍍)の右隻に鼻を高く上げた白象、左隻に潮を噴き上げた黒き鯨――対峙する陸と海の大物を描いている。この作品は2008年8月、北陸の旧家から発見されたもので、わずか2年前まで蔵の奥に眠っていた。さらに伊藤若冲(1716年―1800年)、最晩年の作というから、驚き感動した。

×  ×  ×

 千葉まで出向いて千葉市美術館で「伊藤若冲アナザーワールド」展(2010年5月22日~6月27日)を観る。人気の若冲の水墨の作品を中心に、160余点を展示している。

構成
・第1章:若冲前史
・第2章:初期作―模索の時代
・第3章:着色画と水墨画
・第4章:晩年期―多様なる展開

×  ×  ×

 水墨を中心とした作品を追う展覧会であったが、
・月夜白梅図
・旭日松鶴図
・樹花鳥獣図屏風
の色彩のある作品に草球kusatamaの目は惹かれた。

「象と鯨図屏風」の落款には「米斗翁(注=若冲の号)八十二歳画」とあり、寛政11年(1799年、没年の前年)前後の作品といわれている。葛飾北斎やパブロ・ピカソも90歳過ぎても創作意欲は衰えなかった。
 アラ還の草球kusatamaなんぞ、まだまだ鼻たれ小僧だと、思い知ったのだった。

2010年6月17日観覧

2010年6月14日月曜日

菅直人首相と伊勢谷友介

奇兵隊率いた高杉晋作
 菅直人首相が6月13日、出身地の山口県宇部市を訪れた。そこで自らの内閣は長州藩士の高杉晋作にちなんだ『奇兵隊内閣』と強調したそうな。

 菅直人は山口県宇部市出身。父親が山口発祥のセントラル硝子に務めていたという。県立宇部高校から父親の転勤で都立小山台に編入し、東京工業大学理学部応用物理学科に見事合格している。
 最近の総理では珍しく二世議員でなく、市民運動家から出たサラリーマン家庭出身の庶民の宰相である。

×  ×  ×

 軍隊といえば江戸幕末にあっても武士階級で組織するのが一般的な考え方だった時代に、高杉晋作は、武士と庶民からなる混成軍を発案し結成した。この戦闘組織を奇兵隊と呼んだ。
 志ある者なら農民も戦士となりえたわけで、封建身分制度の在り方を考え直す新しい思想といっていい。
 奇兵隊は長州の倒幕思想を鼓舞し、新しい明治へ時代を大変換させる原動力となったが、菅さんは政権交代後の日本の舵取りを、郷土の英雄に倣ってみようということらしい。

 さて、どうして菅さんと伊勢谷友介と関係があるのか?
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」で、高杉晋作役を演じるのが伊勢谷友介なのだ。NHKドラマの「白洲次郎」で、白洲次郎役を演じたエキゾチックなマスクの、あの俳優である。「龍馬伝」には7月から登場予定とか。

×  ×  ×

 どちらの高杉晋作さんも、頑張ってほしいという、恐ろしく月並みな言葉で〆たいと思います(大いにテレル)。

2010年6月11日金曜日

吉田正13回忌と橋・小百合

鶴田浩二、フランク永井、三田明
 国民栄誉賞受賞者で昭和歌謡を代表する作曲家・吉田正の13回忌法要が2010年6月10日、東京帝国ホテルで門下生の橋幸夫、吉永小百合ら350人が出席して行われた。

×  ×  ×

 橋幸夫と吉永小百合といえば黄金コンビだった。吉田正の作曲で、作詞は佐伯孝夫でデュエット曲もヒットした。一番のヒットは「いつでも夢を」だろう。
 ♪星よりひそかに 雨よりやさしく
  あの娘はいつも 歌ってる

「若い東京の屋根の下」もある。
 ♪山手も下町も 下町も山手も
  東京楽しや 楽しや東京

「そこは青い空だった」は全日空とのタイアップソングだった。
 ♪北の端から 南の端から
  夢のジェット機 727

 すべてがさわやかな明るい曲だった。高度成長期の日本であった。

×  ×  ×

 吉田正の門下生とヒット曲
・鶴田浩二:街のサンドイッチマン/赤と黒のブルース/好きだった/傷だらけの人生
・三浦洸一:東京の人
・フランク永井:有楽町で逢いましょう/夜霧の第二国道/東京午前三時/おまえに
・松尾和子:東京ナイトクラブ/誰よりも君を愛す/再会
・山田真二:哀愁の街に霧が降る
・橋幸夫:潮来笠/沓掛時次郎/江梨子/恋をするなら/恋のメキシカン・ロック/子連れ狼
・吉永小百合:寒い朝/伊豆の踊子
・和田弘とマヒナスターズ:泣かないで
・三田明:美しい十代
・久保浩:霧の中の少女

 思わず鼻歌が出る名曲ぞろいだな。シベリア抑留時に作った「異国の丘」が話題となり、復員後に作曲家人生を歩んだ。都会派ムード歌謡、青春歌謡、リズム歌謡、股旅ものと多彩だった。吉田は1998年に亡くなった。もう13回忌か、時は過ぎゆく。

2010年6月10日木曜日

オルセー展:国立新美術館

モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン

 東京・六本木の東京新美術館で「オルセー美術館展 2010―ポスト印象派」(2010年5月26日~8月16日)を観る。パリのオルセー美術館改装工事を利用して、世界3カ国で行われる巡回展覧会。オーストラリアのキャンベラが終わり、東京開催となった。このあと米国サンフランシスコへ移る。モネ5点、セザンヌ8点、ゴッホ7点、ゴーギャン9点、ルソー2点をはじめ、印象派を起点とする1880年代後半から90年代にかけての絵画115点を紹介している。

構成/主な画家と作品
・第1章:1886―最後の印象派/クロード・モネ「ロンドン国会議事堂、霧の中に差す陽光」「日傘の女性」/エドガー・ドガ「階段を上がる踊り子」

・第2章:スーラと新印象主義/ポール・シニャック「マルセイユ港の入り口」/ジョルジョ・スーラ「ポール=アン=ベッサンの外港、満潮」

・第3章:セザンヌとセザンヌ主義/ポール・セザンヌ「台所のテーブル(篭のある静物)」「水浴の男たち」

・第4章:トゥールーズ=ロートレック/アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「女道化師シャ=ユ=カオ」「赤毛の女(化粧)」

・第5章:ゴッホとゴーギャン/フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」「星降る夜」/ポール・ゴーギャン「『黄色いキリスト』のある自画像」「タヒチの女たち」

・第6章:ポン=タヴェン派/エミール・ベルナール「愛の森のマドレーヌ(画家の妹)」

・第7章:ナビ派/ピエール・ボナール「格子柄のブラウス(20歳のクロード・テラス夫人)」/モーリン・ドニ「木々の中の行列(緑の木立)」

・第8章:内面への眼差し/ギュスターヴ・モロー「オルフェウス」

・第9章:アンリ・ルソー「戦争」「蛇使いの女」

・第10章:装飾の勝利/エデゥアール・ヴュイヤール「公園 戯れる少女たち」「公園 質問」「公園 子守、会話、赤い日傘」

×  ×  ×

 とにかく盛りだくさんで見応え十分です。ゆっくり鑑賞したいが、平日ながら大変な混雑で叶わなかった。目の保養となります。

 数多い名品のなかで気に入ったのは、ゴッホの「星降る夜」でした。夜空と港の鮮やかな濃いブルーに魅せられました。港に佇むふたりの男女は恋人だろうか、満天の星、とりわけ北斗七星が輝いていました。美しい。
 1888年、アルルにゴーギャンがやってくる直前の作品とか。その後二人の共同生活が始まるわけですが、やがて『破局』。そしてゴッホは悲劇的な死を迎えることになります。
2010年6月10日観覧

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2010年6月9日水曜日

誉田哲也「ソウルケイジ」

 誉田哲也の「ソウルケイジ」(光文社文庫)を読む。「ストロベリーナイト」に続く姫川玲子シリーズの第2弾。玲子はノンキャリアながら27歳で警部補に昇進し、警視庁の花形、捜査一課殺人犯捜査十係の主任に取り立てられた。














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 多摩川土手に放置されたワンボックスカーから、血まみれの左手首が発見された。姫川玲子ら捜査一課の刑事たちが所轄と組んで捜査にあたる……。

拙ブログ「姫川玲子シリーズ」関連
「ストロベリーナイト」2010/04/25
「ソウルケイジ」2010/06/09
「シンメトリー」2011/02/26
「インビジブルレイン」2012/08/05


 玲子と同じ殺人犯捜査第十係で別班を率いる日下守警部補が『準主役』となっている。とかく勘に頼る玲子と対照的に捜査は予断を一切許さない、理詰めで手堅い。玲子には毛嫌いされているが、切れる刑事である。

 出歯で、関西弁で玲子にぞっこんの井岡博満のキャラが強烈で、『三枚目』役だ。年上の部下、菊田和男と玲子はお互いに憎からず思っている間柄で、難事件を追う中にラブロマンスも織り込まれている。
「ストロベリーナイト」では大塚真二が殉職した。その後釜として葉山則之巡査長が加わった。姫川班は、玲子以下石倉保巡査部長、菊田和男巡査部長、湯田康平巡査長と大塚巡査長の5人。
 登場する刑事はみな個性派ぞろいだ。

『父性』が一貫したテーマとして、事件当事者、日下と息子、玲子と父親の関係を通して描かれている。

×  ×  ×

 それにしても井岡ではないが、スラリとした美人、颯爽とした玲子主任に惚れてまうがな(笑)。
2010年6月8日読了ソウルケイジ (光文社文庫)

2010年6月7日月曜日

マイコ:龍馬伝&新参者

50円玉指輪の秘密が明らかに

 女優のマイコは『日曜日のヒロイン』ですな。「龍馬伝」と「新参者」のテレビドラマにかけもちしていますぞ。
・「龍馬伝」(NHK・日曜日午後8:00放送)岩崎弥太郎の妻・喜勢役
・「新参者」(TBS・日曜日午後9:00放送)清掃会社社長の秘書・宮本祐理役

 2010年6月6日放送分では、両番組とも身辺に進展がありました。

「龍馬伝」では、弥太郎と喜勢の間に娘の春路が生まれました。ママになったのです。ドラマは岩崎弥太郎の視点から坂本龍馬を描く脚本家・福田靖のオリジナル作品ですから、岩崎喜勢はそれなりに重要な役です。財閥三菱の礎を築いた弥太郎を支える賢妻を演じています。

「新参者」(東野圭吾原作)では、周囲から愛人と見られていた社長秘書ですが、実は愛人ではなく実の娘だったのです。

 マイコの宮本祐理は清掃会社の社長秘書。社長は清瀬直弘(三浦友和)。直弘の元妻・三井峯子(原田美枝子)が絞殺された事件の捜査線上に、清瀬直弘と宮本祐理の二人が浮かび上がります。刑事の加賀恭二郎(阿部寛)が二人の関係を解き明かします。
 加賀は祐理の身に付けているネックレスと指輪に目をつける。ネックレスはダイヤで高価だが、指輪は古そうな50円玉。ネックレスは祐理への直弘の贈り物であり、指輪は……。
 指輪は若き日の直弘が、愛する祐理の母・戸紀子にプレゼントしたものでした。金はないが、愛情はたっぷりある。50円玉の穴を拡げて作った世界にひとつだけの指輪。そんな直弘の愛を重荷に思い、戸紀子は直弘のもとから姿を消します。その後、病の床につき亡くなります。母の死後、形見として身に付けていた祐理が銀座のクラブに勤めていたころ、偶然にも直弘は客として遭ったのでした。その後、彼の秘書になりました。
 祐理は直弘の娘だったのです。

×  ×  ×

 マイコはアメリカ人の父親と日本人の母親をもつハ―フで、シアトル生まれだそうです。彼女を勝手に『日曜日のヒロイン』と呼んでいます。
 だからどうした?
 ただそれだけのことですよ(笑)。

2010年6月5日土曜日

渥美清:柴又帝釈天

映画「男はつらいよ」がフラッシュバック

ぶらり散歩に出る。柴又帝釈天界隈。夏日となった6月3日のことだ。恥ずかしながらアラ還の草球kusatama生まれて初めての場所だが、既視感にとらわれた。


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きっと「男はつらいよ」の寅さん映画のせいだろう。
 京成柴又駅を降りて、すぐに出くわす寅さんの銅像も、帝釈天へと続く参道の街並みも、名物の草団子を売る高木屋も、何度となく見た光景に映る。

 心のなかで「男はつらいよ」のメロディが流れる。
 渥美のちょっぴり高音で切れ味のいい台詞。
――私生まれも育ちも 葛飾柴又です
   帝釈天で産湯を使い 姓は車 名は寅次郎 
   人呼んでフーテンの寅と発します

 作詞・星野哲郎、作曲は山本直純である。
 ♪ドブに落ちても 根のある奴は
  いつかは蓮の 花と咲く
 葉っぱなんぞ銜(くわ)えた、四角い顔の渥美清が「相変わらず馬鹿か」なんて登場しそうな雰囲気がした。

×  ×  ×

 原作・監督は山田洋次で映画は1969年の「男はつらいよ」から1995年の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」まで全48作中の46作(3作・森崎東、4作・小林俊一)を撮った。映画の発端はフジテレビのドラマだった。最終回で、ひと商売たくらみ奄美大島に渡りハブに噛まれ死んでしまったため、抗議が殺到し映画での再登場となった(寅さんフリークなら、どなたも周知のことですが……)。

×  ×  ×

 柴又帝釈天は、正式には経栄山題経寺(きょうえいざん・だいきょうじ)といい日蓮宗の寺院で江戸初期に開創された。帝釈天内殿の外部は装飾彫刻で覆われている。これは一見の価値ありですぞ。

×  ×  ×

 ところで好みのマドンナは誰ですか?
 若尾文子/京マチ子/香川京子/八千草薫/岸恵子/新珠三千代/大地喜和子/十朱幸代/松坂慶子……。日本を代表する女優がズラリと並びます。
 そのなかで1番は『サユリスト』の草球kusatamaは吉永小百合といいたいところですが、寅さんと相性となるとリリーを演じた浅丘ルリ子が抜群にいいのだよね。
 これって、言わぬ花の話題でしょうか。

 それを言っちゃお仕舞いよ。

2010年6月3日木曜日

啼くな小鳩よ:岡晴夫

アカシアの雨・おーい中村君

『小鳩』が地に堕ちた。総理の鳩山さんが退陣して、幹事長の小沢さんも辞任した。民主党のW首脳が表舞台から身を引くことになった。

 ♪啼くな小鳩よ 心の妻よ
  なまじなかれりゃ 未練がからむ
 新聞見出しに『小鳩』を見つけ、岡晴夫は歌いヒットした「啼くな小鳩よ」を口ずさむ。

 1947年(昭和22年)の作品だから、60余年も前の流行歌だ。作詞は高橋掬太郎、作曲は飯田三郎。歌詞の『小鳩』は可憐な女性のことだろう。間違っても鳩山さんや小沢さんのようなオヤジではない。同じ字ずらでも大分違うのだ。

×  ×  ×

「ハト」繋がりでさらに鼻歌2曲。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」がある。
 ♪アカシアの雨がやむとき
  青空さして 鳩がとぶ
 鳩が飛びたち、「むらさきの羽」が残る。これは3番の歌詞だが、1番では「冷たくなった私を 見つけて」とあり、なにやら『死』を暗示する象徴のようだ。

「おーい中村君」という若原一郎のヒット曲がある。作詞は矢野亮、作曲は中野忠晴だ。
 ♪いかに新婚 ほやほやだとて
  伝書鳩でも あるまいものを
 急に付き合いが悪くなった新婚の中村君をちょいと一杯どうか、と悪友が誘う歌だ。

 それにしても『伝書鳩』なんて死語に近い。鳩の帰巣本能を利用して通信手段に利用されていた。かつて新聞社の屋上には鳩小屋があったそうだ。

『小鳩』から鼻歌が出た。ただそれだけの話さ(笑)。こりゃまた失礼しましたm(_ _)m