2013年4月30日火曜日

牧伸二さん 大正テレビ寄席 forever

牧伸二さんといえば「大正テレビ寄席」だな――
「トリ頭」こと戸坂健作が虚空の一点を見つめた。

 「あ〜あ やんなっちゃった」と明るく社会風刺を歌うウクレレ漫談の牧伸二(まき・しんじ)さんが2013年4月29日亡くなった。自殺と見られる。78歳だった。(以下敬称略)

大正テレビ寄席は1963年(昭和38年)〜1978年(同53年)に
テレビ朝日で放送された⇔wikipedia参照。
団塊世代の「トリ頭」や草野が高校生の頃に始まった、
牧伸二が司会を務めるお笑い番組だった。

――以下「トリ頭」の追憶のひとくさり。
♪ フランク永井は 低音の魅力
  神戸一郎も 低音の魅力
  水原弘も 低音の魅力
  漫談の牧伸二 低能の魅力
  あ〜あ やんなっちゃった
  あ〜あ おどろいた

マキシンは一般大衆の目線から
社会を見つめる芸風だったな。
ひどい女装で登場したりして沸かした。

マキシンの師匠は牧野周一。
牧野の弟子が牧伸二にポール牧。
牧野の師匠は徳川夢声だな。

大正テレビ寄席で芸人を覚えたものだ。
漫才のWケンジやてんや・わんや、
てんぷくトリオの三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗、
コント55号の欽ちゃんや二郎さん、

ドンキーカルテットの小野ヤスシ、ジャイアント吉田、
トリオスカイラインの東八郎や小島三児‥‥。
ものまねの桜井長一郎や小野栄一、
落語では林家三平や三遊亭歌奴(円歌)、
数え出したら切りがないな。

関東の芸人はこぞって登場したもんだ。
いや実に面白かったぞ。
またひとり昭和の芸人さんが消えた。
寂しいぜ。

――と、「トリ頭」いつになく神妙な面持ちでした。

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2013年4月28日日曜日

誉田哲也「ハング」

*津原英太と菊田和男が重なる妄想――。

 誉田哲也の「ハング」(中公文庫)を読む。 
 重要未解決事件の再捜査を手掛ける警視庁捜査一課の堀田次郎率いる特捜一係に命が下った。宝飾店オーナーが殺され、まだ犯人が挙がっていない事件で新たな手掛かりが出た。その再捜査だった。
 容疑者を割り出し逮捕、自供と事件はトントン拍子に解決すると思われた。が、公判で自白は強要されたものと覆す証言をした。翌日、堀田班の刑事ひとり植草利巳が首を吊った姿で見つかった。信じられない植草の死。後輩刑事・津原英太は真相を探り始めた……。




主人公の津原英太と誉田さんの原作「姫川玲子シリーズ」
菊田和男が重なっちゃった。
つまり西島秀俊が……。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の山本覚馬役で見せる、
なんでも筋肉美が女性に人気なんだとか。

津原と菊田の共通点?
「ハング」の津原は植草の妹・遥に密かな恋心を抱いている。
菊田も姫川玲子に同じような想いがある。
つまり忍ぶ恋ってヤツかな。

六十路半ばになっても妄想癖は若い時分と変わらないなぁ。
どうでもいいか(f^_^;)。

2013427日読了
読書の轍#7

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2013年4月26日金曜日

田端義夫さん「大利根月夜」 forever

訃報に「大利根月夜」を思わず口ずさむ。
♪ あれを御覧と 指差すかたに
   利根の流れを ながれ月
作詞藤田まさと、作曲は長津義司。(この項敬称略)

「大利根月夜」「かえり船」のヒット曲で知られる歌手の田端義夫(たばた・よしお)さんが2013年4月25日亡くなった。94歳だった。

戦前から平成まで70余年におよび現役歌手であり続けた。
「大利根月夜」は太平洋戦争前の昭和15年(1940年)の作品。

♪ 波の背の背に ゆられてゆれて
   月の潮路の かえり船
こちらの「かえり船」は戦後間もない昭和21年。
作詞清水みのる、作曲は倉若晴生。

沖縄俗謡に材を採った「十九の春」もいい。
♪ 私があなたに惚れたのは
   ちょうど十九の春でした
これは昭和50年。

上記3つのヒット曲はいずれも
ビブラートの効いた高音が哀調を帯びていた
ーーと素人ながら思っていた。

長い間田端さんに断りもせず、
30代からもう30余年にも
「大利根月夜」を持ち歌にしていました。
どうもスンマセンm(_ _)m


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2013年4月25日木曜日

井上ひさし展:神奈川近代文学館

*創作構想メモ・ノートを観て『遅筆』をナットク――。 

 横浜・山手の港の見える丘公園内の神奈川近代文学館で「井上ひさし展―21世紀の君たちに」を観る。開催2013420日~69日。

本展構成
第1部        井上ひさしクロニクル 作家となるまで
第2部        ユートピアへの旅
第3部        「中継者」として21世紀の君たちに


井上ひさしさんの原稿は丁寧だった。
その字は清書のような楷書で編集者も楽に読めたはずだ。

だから、遅筆だった――いや、違う。
より納得のいく中身に執着したからだと思う。
黒澤明の映画制作みたいなもので、完璧主義ゆえだったからと推測する。

それは、集めた資料の量や周到な創作構想メモ・ノートに顕れていた。

原稿と創作メモ――が本展のみどころである。

浅草のストリップ劇場フランス座での台本書き時代、
演じたの渥美清や関敬六、谷幹一、長門勇だったし、
放送作家の時代は三波伸介、戸塚睦夫、伊東四朗の
てんぷくトリオのコント台本も手掛けた。

作品に一貫しているのは笑いだったよね。

亡くなって3年が経つのですな。
75歳か……。
まだまだ書けたのに惜しいなぁ。

2013423日観覧
美博の館#18

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2013年4月24日水曜日

松鶴家千とせ、わかるかなぁ〜

初孫からの初孫に至福の時――わかるかなぁ〜わからねえだろうなぁ〜お前は松鶴家千とせっか(ひとり突っ込み f^_^;)
ーーとfacebookとtwitterに書き込んだら、
親友の「トリ頭」こと戸坂健作から
ガラケー(スマホではない)に電話があった。

ーー以下は「トリ頭」のひとくさり。
オレはわかったぞ。
草野は4月生まれだ。
誕生日のお祝いに孫のR坊が酒の初孫を持ってきた。
まだ2歳だから娘夫婦が連れてきた。
呑んだら美味かった。
そうだろう?

それにしても松鶴家千とせ、とは懐かしい。
オレが夕焼けだった頃、
弟は小焼け、おやじは胸やけ、
おふくろはシモヤケだった。
わかるかなぁ〜わからねえだろうなぁ〜
シュールな芸風だったな。

初孫は山形の地酒だ。
大吟醸か。
ありゃフルーティな味わいだわい。
さぞや美味かろう。
山田錦だな。

山形といえば佐藤錦はサクランボの王様。
栃錦といえば名横綱。
錦市場といえば京都の台所。
錦、錦‥‥‥うーん、
錦野旦(にしきの・あきら)はスターだぜ。

×    ×     ×

ハイハイわかりました。
困ったもんだ。
いつも通り話は脱線したので、
電話を切ってしまった(f^_^;)。


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2013年4月20日土曜日

七十二候の「葭始生」

季節の移ろいに敏感でありたい。

加齢とともに時が過ぎるのがはやい。
ガキの頃と比べたら、
草鞋の旅と新幹線のそれぐらい差がある。
物理的な時間は同じだが、
そう強く感じるのだ。

季節をいつ感じますか?
今でしょう!

時は「葭始生」。
(あしはじめてしょうず)と読み、
古代中国で考案された季節を表す方式である
七十二候のひとつで、
毎年4月19日〜21日頃にきて、
その後5日がその時期にあたるそうな。
葭って晩春のこの時期に芽を出すのですな。

二十四節気は1年を24等分したもので、
七十二候は1年を72等分したもの。

ちなみに、
「葭((葦 )=あし」は「よし」とも言う。
「悪((あ)し」に通じるのを忌み嫌い、
「善(よ)し」にちなんで呼んだそうな。

巡る季節の中で今を慈しみたい。

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白雲抱幽石ってどんな意味

川崎駅至近のアートガーデンかわさきで「書陵展」を観る。
春恒例の書道展で毎年顔を出すのは、
カミさんの作品が出品されるからだ。

今年のヤツは「白雲抱幽石」と書いてあった。
さて、どんな意味かな?

ざっと調べてみたら、
「はくうん ゆうせきをいだく」と読み、
寒山詩の一節で禅語だそうな。

深山幽谷に石(岩ですな)を包み込む、
白い雲(入道雲)が湧いている。
静寂で雄大な自然の様子――。

カミさん、知ってて書いてるのかなぁ( ^_^ )。

2013年4月18日観覧
美博の館#17

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2013年4月18日木曜日

三國連太郎さん出演の「鷲と鷹」


♪ 海の男は行く 強者(つわもの)は行く
   波が騒ごうと 笑って行くが
石原裕次郎さんのヒット曲「鷲と鷹」を口ずさむ。

日本映画史に残る演技派俳優の三國連太郎さんが、
2013年4月14日に亡くなった。90歳だった。

三國さんの代表作は? と問われたら、
伴淳三郎さんとの「飢餓海峡」
西田敏行さんとの「釣りバカ日誌」などを
代表作に挙げる人も多いことだろう。

代表作とは言えないが、
記憶に残るのは「鷲と鷹」である。
1957年(昭和32年)の日活の作品。
井上梅次監督・脚本、
そして冒頭の裕次郎さんの唄った作詞も担当した。
この映画に三國さんが主演の裕ちゃんと共演しているだよね。

三國連太郎さんの訃報で、
「鷲と鷹」を思い出したのでした。


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ラファエロ:国立西洋美術館

*ラファエロってイケメンだぞ――。 

 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンス3大巨匠といわれる「ラファエロ」展を東京・上野の国立西洋美術館で観る。修行時代から晩年に至るまでのの油彩素描23点を展示している。開催=2013年3月2日~6月2日。


Raffaelloラファエロ・サンツィオ(1483年―1520年) 
西洋美術史を代表するイタリア・ルネサンス(1516世紀)の画家。イタリア中部のウルビーノ出身。宮廷画家の父のもとで修業したのち、ベルージャのベルジーノやフィレンツェのレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロらの画風を吸収して名声を得て、1508年ローマへ。ヴァチカン宮殿の壁画や、教皇や貴族の注文で宗教画や肖像画を描き、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家を務めた。37歳の若さで死去した。

本展構成
プロローグ
Ⅰ 画家への一歩
Ⅱ フィレンツェのラファエロ
   ―レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い
Ⅲ ローマのラファエロ
   ―教皇をとりこにした美
Ⅳ ラファエロの継承者たち

≪大公の聖母≫(15051506年)  
本展の目玉作品のひとつで、
フィレンツェ時代の聖母子を描いている作品。
慈悲深い母性を感じました。
暗い背景は制作当初は建物などが描かれていたが、
後世になって塗りつぶされたそうな。
大公とは、トスカーナ大公フェルディナンド3世のこと。 

≪自画像≫(15041506年)を観ると、
ラファエロって美男だったんですな(笑 ^_^)。

2013416日観覧
美博の館#16 

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2013年4月14日日曜日

背番20の横手投げ大友工さん

 横手投げの速級派として鳴らした巨人投手の大友工(おおとも・たくみ)さんが2013年4月12日亡くなった。88歳だった。130勝57敗、防御率2.11。ノーヒットノーラン1回。

×     ×      ×     (以下敬称略)

♪ 燃える憧れスタンドで
   じっと見てたよ背番号
「野球小僧」という灰田勝彦のヒット曲がある。
1951年(昭和26年)の作品で、
作詞は佐伯孝夫、作曲は佐々木俊一。


「野球小僧」が巷で流行ったころ、
大友工は全盛時を迎えた。
・1952年に17勝8敗
・1953年27勝6敗
・1954年21勝15敗
・1955年30勝6敗

草野が野球で遊び始めたのは1955年ころ。
小学校2年生で当時の憧れは、
16番の川上哲治、
11番の別所毅彦、
そして20番の大友工だった。

大阪逓信講習所を卒業後、
神戸中央電信局ー但馬貨物と経て
軟式野球から1949年(昭和24年)に巨人入団した。

その後 20番は、
・堀本律雄
・北川芳男
・髙橋明
・関本四十四
・定岡正二
と受け継がれた。

×    ×     ×

「野球小僧」の替え歌で
「お灸小僧」てえのがある。
タモリの「戦後日本歌謡史」というヒット曲をパロディ化したレコードで、
語りと歌唱をしている。

先日「笑っていいとも」に井上陽水が出演した時、
「お灸小僧」が話題になっていた。

♪ 燃えるモグサを手に背負って
   じっと我慢の絆創膏
それにしてもタモリの芸風はシュールなだったなぁ。

訃報の文末に不謹慎な〆で、
どうも スイマセン m(_ _)m

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2013年4月13日土曜日

多崎つくると、わりなき恋

*村上春樹さんと岸恵子さんの近著好調――。

事実は小説より奇なり、と申しまして、
世の中には変わった珍しい経験をお持ちの方が、
たくさんいらっしゃいます‥‥‥
ハイハイ、どうもどうも。
高橋圭三でございます。
――モノマネのつもりでして‥‥(f^_^;)。

NHKの「私の秘密」に登場するような御仁がいた。

村上春樹さんの近著を8分で読む速読の達人をTVでみた。
遅読の吾身なら悠に1ヶ月はかかる。
まさにアンビリーバボー!
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
――長ったらしい表題だよね(^_^)。

これがとんでもない売れ行きで、
版元の文藝春秋では4月12日の発売初日に10万部増刷を決め、
いきなり60万部の発行部数を記録したそうな。
出版不況といえる昨今では異例のこと。

近著といえば岸恵子さんの「わりなき恋」(幻冬社)も評判だ。
高齢者の愛と性を描いた作品だそうな。

「わりない」は漢字では「理無い」で、
理屈や道理でははかりしれないという意。
「わりない仲」なんてえ言葉がある。
「理」は「ことわり」のこと。

村上春樹さんと岸恵子さん。
近著つながりでお二人の本をまとめたものの、
オチが思い浮かばず‥‥‥。

いや、ねえ、春樹と縁が深い岸さんを結びつけるのは、
さすがに無理があるぞ、
なんてえ勝手に自問自答して止めました(f^_^;)。
これにてオシマイ。

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2013年4月10日水曜日

「君の名は」いつ観るか?今でしょう!

*岸恵子さん著「わりなき恋」出版のタイミングです。


♪君の名はと たづねし人あり
  その人の 名も知らず
懐かしいメロディが心を駆けめぐった。

散歩がてら自宅近くのそごう横浜をぶらぶらしていると
興味深いポスターに出くわした。
名画「君の名は」3部作を上映するという告知である。
場所は新都市ホール(そごう横浜店9F)。
・第1部:49日(火)
・第2部:416日(火)
・第3部:423日(火)


歌詞がうろ覚えなので調べたら、
「君の名は」の歌唱は織井茂子。
作詞は菊田一夫、作曲は古関裕而だった。

ドラマのあらすじは周知の人も多いかと思う。
――東京大空襲の夜、数寄屋橋の上で
氏家真知子と後宮春樹は互いに生命を助けあった。
その二人の愛と波乱の人生を描いたメロドラマだった。

菊田一夫原作で1952年(昭和27年)にラジオドラマで放送され大人気となり、
松竹で映画化され日本中が沸いたのだった。
真知子に岸恵子、春樹は佐田啓二。

完結の第3部の上映日は岸恵子さんが記念講演を行うとのこと。
それにしても、なんで今「君の名は」なのだろう?

紀伊国屋書店(7F)をのぞいてナットクでした。
岸恵子の近刊「わりなき恋」(幻冬舎)が平積みになっていた。
70代女性の情愛を描いたとか評判になっているのですな。
ちなみに岸さんは神奈川県立平沼高校出身のハマっ子。
横浜で「君の名は」を上映する理由は立派にあったのでした(笑^_^)。
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今をえがく書 かながわ:そごう美術館

 毎日書道展 第65回記念 毎日現代書巡回展「今をえがく書かながわ」を観る。横浜駅東口のそごう横浜店6Fのそごう美術館で開催=201346日~414日。

さっぱり理解(わか)らない。
情けないことに書の字が読めない。
己の不明を恥じるばかりだ( f^_^; )。

主要作家、神奈川在住の書家による
芸術的な書が展示されている。
散歩の途中に観た感じで、
入魂の作品にただただ謝するばかりです(ペコリ m(-_-)m )。

201349日観覧
美博の館#15
 

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2013年4月8日月曜日

八重の桜:江戸東京博物館2

 特別展「八重の桜」を草野とともに観た『トリ頭』こと戸坂健作のひとくさり――。

♪会津若松鶴ヶ城
 二十日籠りて城落ちぬ
橋幸夫の歌にもあったぞ。
「花の白虎隊」だ。
作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正だな。

新島八重も参加した戊辰戦争の会津籠城。
会津藩が組織した白虎隊(16歳~17歳)は有名だが、
・朱雀隊:18歳~35
・青龍隊:36歳~49
・玄武隊:50歳以上
もあったのだ。

これは四神といって、中国の神話で
天の四方の方角を司る霊獣だな。
白虎は西、青龍は東、朱雀は南、玄武は北。
若年で散った白虎隊により悲劇性があり、
後世になっても語り継がれたのだろうよ。

・明日の夜は 何国の誰か ながむらん なれし御城に 残す月影
スペンサー銃で板垣退助ら率いる新政府軍に奮戦した八重は、
敗れて会津鶴ヶ城を去る夜、
歌を詠み残しているのだな。

ああ哀し。
八重の運命やいかに。

 なにが運命やいかに、だ。無声映画時代の弁士か、お前は。
 どこぞで仕入れた知識が知らないが、明日になればケロリと忘れているに違い。ニワトリ並みで3歩歩けば物忘れの健忘症。
 戸坂⇒鶏冠(とさか)⇒『トリ頭』――仲間が付けたあだ名は『トリ頭』だから。

201344日観覧
美博の館#14

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2013年4月7日日曜日

三上延「ビブリア古書堂の事件手帖4」

*剛力彩芽ちゃんには荷が重い栞子さん役だった(f^_^;)――。
三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖4~栞子さんと二つの顔~」
(メディアワークス文庫)を読む。
シリーズ第4作。












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目次
プロローグ
第1章        「孤島の鬼」
第2章        「少年探偵団」
第3章        「押絵と旅する男」
エピローグ 


五浦大輔と篠川栞子の仲が近づきましたな。

三上延さんの「あとがき」によると、
「物語はそろそろ後半に入る」という。
あと23作で「ビブリア古書堂」シリーズも終わりなのだろうか。

やたら殺人のある推理モノが目立つ。
このシリーズは古書と人の関わりを解くという新機軸が新鮮だった。
古書のネタ探しに労苦するのだろうが、
三上さんに頑張ってもらいたいな。

剛力彩芽主演のテレビドラマも観ていた。
彼女には悪いが、
栞子さん役は荷が重かったなぁ(f^_^;)。

大輔のAKIRAはレイバンの伊達眼鏡が似合っていたぞ(笑 ^_^)。
大輔より2歳上という栞子さんの設定だよね、原作は。
もちろんドラマと原作は別作品と考えるべきなんだけど……。

草野的には、栞子さん役は竹内結子あたりと思っていたけどね。
みなさん、どう思いますか?

201345日読了
読書の轍6

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2013年4月6日土曜日

八重の桜:江戸東京博物館

*新島八重は美人ではないがハンサムだった――。

 東京・両国の江戸東京博物館で特別展「八重の桜」を観る。NHK大河ドラマとの連動企画展。開催2013312日~56日。



新島八重さんは美人ではない(実物写真を見るかぎり…… f^_^; )。
だが、しかし、NHK大河ドラマとなり、
人気女優の綾瀬はるかが八重を演じるのは、
心が『ハンサム』だったからなんですな。
本展を観てナットクだった。

函館から上海経由で米国へ密航した新島襄は、
ハーディ夫妻の援助で米国で高等教育を受ける。
襄がその恩人に宛てた八重との結婚報告の写真を添えた手紙では、
「彼女(八重)はhandsome(美人)ではありませんが、
彼女が美しい(handsomeな)行いをすることを、私は知っています」
と書かれてあった。

Handsome is as handsome does.
見目よりこころ。立派な行いの人は美しい――
なんてえ英語のことわざがあるそうな。

見た目9割なんて男も多いけど(笑 ^_^)、
襄はなかなかのご仁ですな。

*新島八重(にいじま・やえ)旧姓は山本。
1845年(弘化2年)会津に生まれる。父・山本権八は会津藩の砲術師範。戊辰戦争ではスペンサー銃をもって鶴ヶ城に籠城し奮戦した。会津の敗戦後、兄の覚馬を頼り京都へ。京都初めての女学校、女紅場(にょこうば)の教師となる。その傍ら英語や聖書を学ぶ。
1875年(明治8年)アメリカ帰りで後の同志社大学の創始者となる新島襄と出会い、翌年結婚。襄が病没後に日清、日露戦争では篤志看護婦として行動する。
1932年(昭和7年)病気のため86歳で亡くなる。


本展構成
プロローグ
1章:会津の教え
2章:幕末の京都
3章:会津籠城
4章:古都復興―覚馬と襄―
5章:ハンサムウーマンへ
エピローグ

初めの結婚相手の川崎尚之助とはどうして離婚したのだろか。
そのあたりは謎なんだよね。
ドラマでは長谷川博巳が演じているけど、
東京ガスのテレビCMでは電気ウナギイヌを相手に唄っているよね。
どうでもいいですね(笑 ^_^

201344日観覧
美博の館#14

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