2007年10月13日土曜日

長谷川伸の股旅映画

 浅草の喫茶店で落語家の快楽亭ブラックを見かけた。10月9日のことだ。浅草をぶらぶらしていた草野球音は、霧雨が小雨模様になってきたので「緊急避難」に飛び込んだところ、師匠の尊顔を拝することになった。彼の相手が話しながらメモをとっていたから、取材だったのだろうか。
 快楽亭ブラックは日本一の日本映画通と自他とも認める御仁で、中村錦之助*主演の「関の弥太っぺ」(長谷川伸原作・1963年東映・山下耕作監督)を股旅映画の傑作と激賞していたことを何かで読んだ覚えがある。 中村錦之助は後の萬屋錦之介。
 
 縞の合羽に三度笠、軒下三寸借り受けましてと仁義を切り、一宿一飯の恩義で人さまを斬ることも辞さぬ、足の向くまま気のむくままの旅烏―球音が抱く「股旅」のイメージである。
 デジタル大辞泉を引くと、以下の字義が出てくる。
股旅=博徒・芸人などが諸国を股にかけて旅をすること。
股旅物=小説・演劇・映画などで、各地を流れ歩く博徒などを主人公にして義理人情の世界を描いたもの。昭和初頭から使われるようになった語。
 その股旅物大家が長谷川伸である。

 長谷川伸の略歴:1884年(明治17)―1963年(昭和38)。横浜市日ノ出町生まれ。横浜ドックの下働きから新聞記者を経て、小説家・劇作家となる。彼の股旅物は映画化されたものが多い。「関の弥太っぺ」のほかでも「瞼の母」「沓掛時次郎」「一本刀土俵入」「雪の渡り鳥」などで、その多くは大劇場ばかりでなく大衆演劇の舞台にかけられているので、日本列島辻浦々まで広く知れわたっている。弟子に村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、平岩弓枝、池波正太郎がいる。
 
 日本人の琴線の触れる世界を描き、後世に残した長谷川伸の大衆文化における貢献度は著しく大きいと思う。球音備忘録にはかって観た3本の股旅映画を特に記憶に留めたい。あらすじは観てのお楽しみにしてほしいので、ここでは書かない。

 まず「関の弥太っぺ」である。1963年(昭和38)の東映作品。監督は山下耕作で第1回監督作品。関の弥太っぺ役の中村錦之助の油の乗り切った演技に後光が差している。お小夜に語った言葉、そして10年後に語る言葉がキーワードとなる。共演の木村功、大坂志郎、月形龍之介らの脇役も銀をいぶした渋さがあったと記憶している。お小夜役は十朱幸代。
 「瞼の母」―1962年東映。 監督脚本は加藤泰、番場の忠太郎役に中村錦之助、共演は母役の木暮実千代、松方弘樹、大川恵子。夜鷹の老女役の沢村貞子の演技が印象に残る。
 「雪の渡り鳥」―1957年大映作品。「合羽からげて 三度笠」の三波春夫の主題歌。鯉名の銀平は長谷川一夫(1908年―1984年)、共演は山本富士子。加藤敏監督。当時の映画キャッチコピーは「日本一の美男・美女の共演」だった。

中村錦之助(なかむら・きんのすけ):1932年(昭和7)―1997年(平成9)。1972年から小川家の屋号である「萬屋錦之介」を名乗る。歌舞伎から「ひよどり草紙」で美空ひばりと共演、映画デビュー。東映時代劇の看板スターとなる。笛吹童子、宮本武蔵、一心太助に出演。テレビ出演は子連れ狼、破れ傘刀舟など。

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