2013年6月20日木曜日

上海と横浜 波濤を超えて

@横浜開港資料館:高杉晋作の「遊清五録」(複写)が展示    

  「上海と横浜 波濤をこえて―夢・汗・涙が都市をむすぶ」友好都市提携40周年記念の企画展示を、横浜中区日本大通の横浜開港資料館で観る。開催2013年4月24日〜7月7日。


展示内容
1 二つの開港都市の誕生
2 つながる航路
3 東へ、東へ―欧米人の極東進出
4 横浜から上海へ―日本人商人たちの活躍
5 上海から横浜へ―中国技術者たちのの活躍(洋裁・ピアノ製造) 
6 旅行記・案内記に見る上海と横浜
7 写された二つの都市
8 描かれた上海と横浜  

上海と横浜となれば、
♪ 船を見つめていた
  ハマのキャバレーにいた__
「上海帰りのリル」となる。
津村謙が歌い大ヒットした。
作詞・東条寿三郎、作曲・渡久地政信。
1951年(昭和26年)の作品。

相も変わらずの懐メロで恐縮です(f^_^;)。

上海開港は1843年。
アヘン戦争で清がイギリスに敗れ、
南京条約で開港となり、列強が押し寄せた。

横浜開港は1859年。
ペリー来航をきっかけに
日米和親条約さらに5カ国修好通商条約を経て開港となった。

いずれも列強の脅威にさらされ、
無理やりこじ開けられたのだよね。

だが、しかし。
外国人居留地(租界)を中心に、
国際港として発展した側面も否定できない。

現在、横浜港の貨物取扱量の約4割を占めるのが、
上海との輸出入だそうな。

上海は中国最大の都市で常住人口2400万人。
横浜は360万人、日本第2の都市と繁栄している。
2013年が友好都市40周年にあたる。

蛇足ですが、高杉晋作が幕末上海渡航したときの日記
「遊清五録」(複写)が展示されていました。

2013年6月20日
美博の館#23

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2013年6月15日土曜日

尾崎行雄さん 剛球伝説 forever

*葛城を投ゴロ、榎本そして山内を連続三振――。   

 甲子園優勝(浪商)を手土産に17歳でプロ野球、東映(現日本ハム)入り即20勝を稼いだ尾崎行雄(おざき・ゆきお)さんが2013613日亡くなった。68歳だった。 
※以下敬称略 



尾崎の投球を観たことがありますか? 
右腕を後方に振り絞り、
ハト胸を突き出すようのボディスイング、
腕が遅れて斜めから(スリークォーター)
出てくる独自のフォームだった。

スピードガン測定がない時代だが、今計れば、
その球速は150キロ後半から160キロ出ていたろうという球界関係者も多い。
よく速球主体というが、正真正銘の「まっすぐ」ばかりの本格派投手だった。

あの剛球が忘れられない。 

1962年(昭和37年)48日神宮球場。
東映―大毎ダブルヘッダーの第1試合。
開幕第2戦に65000人の大観衆が詰めかけた。
33延長10回の緊迫した場面。
水原茂監督は17歳の新人尾崎をマウンドに送った。
猛打を売り物の大毎は2番からの好打順。 

まず葛城隆雄を投ゴロ。
続く3番榎本喜八を三振。
4番山内一弘も連続三振。

山内、榎本、葛城に加え田宮謙次郎。
「ミサイル」と異名をとった大毎打線。
前年夏の甲子園大会で全国制覇した浪商の2年生で、
17歳の若者が名だたるプロの猛者を牛耳った。

その裏山本八郎がサヨナラ打を放ち、
尾崎は初登板初白星を飾ったのだった。 

中学3年生の野球小僧はテレビ観戦で興奮し手に汗した。
うろ覚えだが、葛城にカーブを投げたが、
榎本、山内には速球で押しまくったと思う。

東映は尾崎の快投で開幕ダッシュに成功、
リーグ初制覇を果たした。
 
尾崎の剛球伝説があの日から始まった。
 
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2013年6月13日木曜日

貴婦人と一角獣展:国立新美術館

*全長22メートル6面のつづれ織の大迫力――。   

 フランス国立クリュニー中世美術館所蔵で西暦1500年ごろ制作の6面タピスリー「貴婦人と一角獣」を東京・六本木の国立新美術館で観る。開催2013424日~715日。 

 
 

『うっとり、しませんか。』 
2013年、中世ヨーロッパ美術の至宝、パリより奇跡の初来日!』   
パンフレットのキャッチコピーが力強い。  

話半分(失礼……)としても凄い__ 
と観ると、全長22メートルのタピスリー(つづれ織) 
赤い千花模様(ミルフルール)の地に、
貴婦人と一角獣と獅子を配している
6連作が鮮やかに眼前に迫ったきました。

うた(謳)い文句に偽りなし。
見事なもんでした。
平にご容赦(ペコリ m^-^m)。

本展構成
貴婦人と一角獣の6面のタピスリー 
「触角」
「味覚」
「嗅覚」
「聴覚」
「視覚」
「我が唯一の望みに」  

・一角獣の図像学:想像の動物誌 
・自然の表現:植物と動物 
・服飾と装身具 
・楯形紋章と標章 
1500年頃のタピスリー芸術 

6連作タピスリーは「蝕覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」と
人間の五感を表しているが、
残る「我が唯一の望みに」は何を意味しているのか、
「愛」「知性」「結婚」など諸説あり、謎だそうな。

ところで「タピスリー」ってなに? 
音声ガイドを聴きながら観ていると、たびたび登場するので、
調べたら、英語の「タペストリー」でした(^_^)。
フランス語では「タピスリー」だそうな。

2013613日観覧
美博の館#22

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2013年6月11日火曜日

藤沢周平「ささやく河」

*殺された男は島帰りで、ふところには30両もの大金が……。
 
 藤沢周平の「ささやく河―彫師伊之助捕物覚え」(新潮文庫)を読む。彫師伊之助シリーズ第3作。   


   
 元岡っ引で、版木彫りの職人の伊之助は、道に倒れた白髪の年寄りの面倒をみるはめとなった。その老人が殺された。傷口から匕首で刺されたものらしい。名は長六といい島帰りで、30両もの大金がふところにあった。物盗りの仕業ではなさそうだ。  
 金をわたしたのは伊豆屋彦三郎という小間物問屋の主人だった。  
 定町廻り同心石塚宗平の口説きにしぶしぶ捜査を手伝うことになった伊之助は、30両の出所である伊豆屋にあたりをつけた……。  

目次 
・闇の匕首 
・古いつながり 
・彦三郎の笑い 
・見ていた男 
・霧の中 
・ひとすじの光 
・襲撃 
・再び闇の匕首 
・目撃者 
・ひとの行方 
・浮かんだ顔 
・人間の闇 
・殺意 
・三人目の夜  

これで藤沢周平さんのシリーズものは読破です。
遅読の身に達成感がわいてきますなぁ。  

「彫師伊之助」シリーズ
・第1作:「消えた女」 2013/5/11
・第2作:「漆黒の霧の中で」 2013/5/26

201369日読了
読書の轍#10
 
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2013年6月9日日曜日

中原淳一展:そごう美術館

*長いまつげ大きな瞳に若い時分の浅丘ルリ子を想う。     

戦前から戦後にかけて、ファッションからライフスタイルまで女性の美しさを提唱し続けた中原淳一(なかはら・じゅんいち=1913年―1983年)の生誕100年を記念する「中原淳一展」を、横浜駅東口のそごう美術館で観る。開催201361日~715日。

 
  


「少女の友」「それいゆ」「ひまわり」などの雑誌編集者、
イラストレーター、ファッションデザイナー、ヘアメイクアーティスト、
スタイリスト、インテリアデザイナー、プロデューサー、
人形作家、作詞家と多岐にわたり活躍した。

妻は宝塚の男役トップスターの葦原邦子。
姪はシャンソン歌手の中原美紗緒。

中原淳一の描くところは、
どれも長いまつげに大きな瞳(ひとみ)の女性である。
よく観ると、若い時分の浅丘ルリ子に似ているな。
今のじゃないよ(^_^)。
小林旭の「渡り鳥シリーズ」に出演(で)いたころの彼女。
旅烏の滝伸次を一途に愛する純情可憐な役どころの……。

そんな気分で観ていたら、気がついた。
会場は右をみても左をみても女性ばかり。
まさに女の園……気恥ずかしくなった。

みたところ中高年層が80%超を占めていた。
浅丘ルリ子はいなかったなぁ。ゴメン(m- _-m)。

201366日観覧
美博の館#21

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2013年6月6日木曜日

長門勇さん 三匹の侍 forever

*関敬六さんの言葉に気色ばんだ――。

人気テレビドラマ「三匹の侍」で外見はパッとしない芋侍だが、槍を取ったら凄腕の桜京十郎を演じた長門勇(ながと・いさむ)さんが201364日亡くなった。81歳だった。
※以下敬称略   

×  ×  ×    

なんたって代表作は「三匹の侍」だろう。
五社英雄演出の人気時代劇ドラマ。
リアルな殺陣が売り物だった。
1963年(昭和38年)~1969年(昭和44年)にかけて、
フジテレビで全6シリーズ放送された。

バカに強い柴左近の丹波哲郎がリーダー格で、
女に弱い二枚目の桔梗鋭之介の平幹二郎と
とぼけた味でお笑い担当の桜京十郎の長門勇の3剣豪が活躍する時代劇だった。

浅草出身のコメディアンが、
「三匹―」の桜京十郎をきっかけに人気俳優に伸し上がった。

思い出したことがある。
うろ覚えだが、昭和40年代と思う。
フジテレビの「小川宏ショー」に長門が出演したときのことだ。

「三匹―」で売れ人気俳優となった長門勇を特集するコーナーだった。
同じ浅草出身の関敬六が登場して、
「最近気取ってる」と言い出したのだ。

こういう場合「よいしょ」するのがフツーだよね。
長門が気色ばみ、顔色が変わっちゃった。
生放送でこんな一触即発の雰囲気はまずない。
このことが妙に印象に残っているのだよね。

関は渥美清とポン友。
渥美・関・谷幹一と「スリーポケッツ」を結成していたこともある。
同じ浅草のコメディアンといっても、
長門と関の仲は微妙だったのだろうか。

渥美さんも関さんも谷さんも
そして長門さんもあちらの世界に旅立った今、
そんなことを詮索したって
三橋美智也の「お花ちゃん」じゃないが、
♪あ~ すっかだ なかんべさ
(作詞・矢野亮、作曲・吉田矢健治、小野昭)
 
 
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2013年6月5日水曜日

本田のPKに固唾を飲んだ。

*固唾(かたず)とは__          
《古くは「かたつ」とも》緊張して息を凝らしているとき口中にたまるつば____デジタル大辞泉        

2014年サッカーW杯出場を決めた日本代表。
なんといっても本田圭祐が光った。
2013年6月4日埼玉サッカースタジアム。
0ー1で迎えた試合終了間際。
あのPKの場面。
6万2000人の大観衆と日本国民の大いなる期待が、
彼の左足にかかっていた。
それをはね返した度胸にほれぼれしたね。

そうです、あのとき固唾を飲んで見守りました。

唾(つば)つまり唾液は、
1日1〜⒈5I(リットル)も分泌されているそうな__wikipedia 参照
意外に多いけど、口中の量はたった1mI程度とか。

だが、しかし‥‥‥。

日本ー豪州戦のテレビ視聴率はビデオリサーチ社調べで、
関東地区38.6%で関西では33.1%でした。

日本国民の「固唾」の量は?
1億2000万人の国民総人口の35%が観ていたとすると、
4200万人つまり4200万mI‥‥‥4万2000I  ですか。
数字に弱いので確かめ算してくださいな(f^_^;)。
とんでもない量になることはまちがいありません。

以上、眉唾(まゆつば)っぽい話でした(^_^)。

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2013年6月4日火曜日

港の見える丘公園のバラ見ごろ

♪ あなたと二人で来た丘は  
   港の見える丘  
ここに来ると、思わず口ずさんじゃう。      

お前はパブロフの犬かっ__  
『トリ頭』こと戸坂健作のツッコミです。  

そうです、あっしは条件反射状態の犬でござんす。  

懐メロの「港の見える丘」。
東辰三作詞・作曲、平野愛子の歌唱で、
戦後間もない1948年(昭和23年)に大ヒットしましたっけ。
といってもヒットした時代は赤ん坊で知りませんが‥‥‥。

そのヒット曲に由来する、
横浜・山手の港の見える丘公園。
その名もローズガーデンのバラが咲き誇っています。
見ごろですぞ。

また『トリ頭』の叱咤です。
お前のブログだが、
誰も見ないからかわいそうで見てやってんだが、
写真がないな。
港の見える丘公園のバラがきれいなんだろう?
その絵はねえのかい。
内容がねえのだから絵ぐらいなくちゃな。
おい、草野。
どういう了見だ。

『トリ頭』のおっしゃる通り。
写真がまるで苦手__
そんなわけで気の利いた写真がない
殺風景なブログですが、
今後とものぞいていただければ、
この上ない幸せ。
平身低頭の草野であります(m^_^m)。

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