冲方丁(うぶかた・とう)の「天地明察(下)」(角川文庫)を読む。
徳川4代将軍の家綱の時代、碁方の長子として生まれた渋川春海(安井算哲)が23年間かけ日本初の暦、貞享暦(じょうきょうれき)を作成するまでを描いている。
× × ×
日本の暦の歴史を、草野が親友の「トリ頭」こと戸坂健作に問うた。
またまた例のネット検索で得た知識を曝(さら)け出しましたぞ。
――(以下はトリ頭の講釈)
日本に中国の暦が伝来したのは6世紀ごろといわれる。
渋川春海のころは宣明暦(せんみょうれき)を使用していた。この暦は実に823年もの間施行された。862年から1685年の長きわたりなんと2日ほどの誤差が生じていたのだよ。
この不都合を改めたのが岡田准一いや渋川春海さ。
日本人の手による最初の暦さ。メイド・イン・ジャパン・カレンダーさ。
貞享暦(じょうきょうれき)だな。貞享2年(1685年)に宣明暦を廃止して1686年から使用された。
でも、これも中国の授時暦を参考にして作ったんだ。
以降、宝暦暦―寛政暦―天保暦と移り変わり、現在は明治5年の改歴からグレゴリオ暦(太陽暦)を使用しているのだよ。
明治5年といえば、新橋―横浜(現・桜木町)間に日本で初めて鉄道が開通したん年だぜ。
♪汽笛一声 新橋をはや我汽車は離れたり
愛宕の山に……
おっと、話が逸れ出し長くなるのでさえぎった。
こんな講釈も明日になれば、すっかり忘れているに違いない。なにせ3歩歩けば、物忘れのニワトリさん。鶏冠(とさか)⇒戸坂から付いたあだ名が「トリ頭」。我が愛すべき友なのです。
目次(上下巻)
序章第1章 一瞥即解
第2章 算法勝負
第3章 北極出地
第4章 授時暦
第5章 改暦請願
第6章 天地明察
2012年10月18日読了
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