2012年8月4日土曜日

二条城展:江戸東京博物館

二条城に入城した徳川の将軍さまは何人いるでしょうか?

 徳川の繁栄と終焉の見守った徳川の京の城、二条城の展覧会。東京・両国の江戸東京博物館で「二条城展」を観る。

二条城は徳川家康の征夷大将軍宣下の祝賀と、慶喜が大政奉還の意を発した徳川の開府と終焉の舞台であった。その二条城が所蔵する「松鷹図」など障壁画、美術作品、歴史資料100点あまりを展示している。開催2012728日~923日。


本展構成
第一章:二条城創建~京に響く徳川の天下~
第二章:二条城大改築~東福門院和子(まさこ)の入内と寛永の行幸~
第三章:寛永障壁画の輝き~日本絵画史上最大の画派、狩野派の粋~
第四章:激動の幕末~大政奉還の舞台として~
第五章:離宮時代~可憐なる宮廷文化の移植~~
第六章:世界遺産二条城~文化財を守る・伝える~

×  ×  ×
 そこで問題です。
 徳川の京の城、二条城に入城した将軍は何人いるでしょうか?
 正解は、家康、秀忠、家光、家茂、そして慶喜の5人でした。

 そうだったのか、と唸りました。
 3代将軍の家光から14代の家茂まで、実に229年も将軍の上洛はなかったのですな。

 二条城は戦(いくさ)の拠点ではなく、京の朝廷を敬いつつ掌握する幕府のパワーバランスの場だった。

 徳川の繁栄と終焉を見守った二条城の歴史――。
1603年(慶長8年):家康の征夷大将軍宣下の宴は二条城で行われる。
1620年(元和6年):秀忠と江の子、和子が二条城より入内。
1626年(寛永3年):後水尾天皇の行幸を向け家光が二条城大改築。
 寛永の行幸で徳川の天下が天下にとどろき政権安定期に入る。朝廷都の関係も良好で、諸大名に睨みを利かす状態だった。

1863年(文久3年):家茂が二条城入城。
 前年に公武合体策で皇女・和宮と結婚。1853年(寛永6年)のペリー来航で日本は激動の幕末期に入る。1854年日米和親条約と1858年日米修好通商条約の締結。安政の大獄、1860年(安政7年)の桜田門外の変のよる井伊直弼暗殺と、目まぐるしく世は動く。家茂の229年ぶりの上洛は、朝廷の攘夷実施の要請を受けてのものだった。徳川の威光はかすみ、二度にわたる長州征伐で上洛した家茂は1866年に大坂城で死去した。
1867年(慶応3年):慶喜が大政奉還の決意を発表する。

 まさに二条城の歴史は、江戸時代の誕生と崩壊の様を語っていました。
2012731日観覧

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