2012年6月30日土曜日

相田みつを美術館:東京国際フォーラム

そには人生訓がありました――。

 上手(じょうず)が下手(へた)を装うのは、奥が深い。

ピカソを「ガキの落描きみてぇだな」なんて、それこそガキ時分に思っていた。下手くそな絵。が、それは一見であり、絵に込められた渾身の思想が徐々に感じられるようなれば、「落描き」は「名画」となるそうな。私も理解できているは言い難いのだが……(ポリポリ)。
 ピカソの10代前半のころ描いた絵をどこぞで観たが、上手(うま)い。非凡な画力だった。

相田みつをさんの書も一見は「ガキの手習い」だが、思想がある。
 1954年(昭和29年)から書の最高峰、毎日書道展に7年連続入選した正統派の書家としても実力はピカイチ。名人上手なのだ。 


 上手(うま)い人が下手に書(描)くのは何故だろうか。
 私にもわからない(ガクッ……とズッコケ)……それを言っちゃ終(おし)いよ。
 勝手に推理すれば、伝えたい思想の凝縮した表現なのではないか。無駄を捨て、書(描)きたいことだけを書(描)く。その結果というか結晶が、作品になったのではないだろうか。

 ――なんて、ぐだぐだ思いながら、東京・丸の内の東京国際フォーラム内の「相田みつを美術館」を観ました。
 そこには人生訓がありました。
 真っ当に生きなければ……無駄に馬齢を重ねる己を省みましたのでした。

※相田(あいだ)みつを
 1924年(大正13年)栃木県足利市生まれ。1954年から書の最高峰、1984年(昭和59年)に詩集「にんげんだもの」が出版され、世に知られるようになる。平易な詩を独特の書体で書いた作品で、「書の詩人」と称される。1991年(平成3年)67歳で没する。
2012626日観覧

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2012年6月28日木曜日

フェルメール光の王国展:銀座

「取り持ち女」は複製画と知りつつも、リアルな世界が迫ります。

 フェルメール・センター銀座で開催中の「フェルメール光の王国展」(2012120日~722日)を観る。全37作品(疑問作も含む)を最新の印刷技術で、原寸大で、かつ所蔵美術館と同じ額装で彼の描いた350年前の色彩を求め再現し、制作年順に並べ展示している。監修は分子生物学者の福岡伸一氏。

 
 
※ヨハネス・フェルメール(1632年―1675年)
 オランダのデルフト生まれの画家。現存する作品は3336点と、研究者により異同があるが、22年の画歴からいって寡作であることは間違いない。

×  ×  ×

 色鮮やかなフェルメール作品(複製画=re-create)が並んでいた。
 350余年前、彼の描いた作品はこんな色彩・光彩だったのか――音声ガイドに耳を傾けながら、作品の背景を想像するのが愉しい。制作順に時系列に並んでいるのも、彼の画業をたどるのに好都合で勉強になった。

 彼の人生を日本史に照らせば、徳川3代将軍・家光(在職1623年~1651年)と4代・家綱(在職1651年~1680年)にあたる。大名の参勤交代が制度化され、1637年に島原の乱、1639年に鎖国が完成した。以来、長崎出島で欧州諸国で唯一オランダと外交関係を維持した。
もちろん家光とフェルメールは面識はないけれど(笑)、当時の日蘭は特殊な間柄だったのだよね……などなど勝手に想うのも、また愉しい。

この音声ガイド(500円)は、福岡伸一氏のシナリオで、フェルメールと娘のエリザベスが作品を紹介する設定となっている。フェルメール役はテレビ東京の美術番組「美の巨人」のナレーションをしている小林薫さん、娘のエリザベス役は宮沢りえさんが演じ、BGMは久石譲さんとなかなか凝っている。ただ、iPodnanoを機器使用しているので、当方のような老眼の中高年にはちょいと画面が小さく、使い勝手はイマイチかな。説明内容は丁寧で面白かった。

 本物ではないことを知りつつも、興味をそそられたのは「取り持ち女」だった。「取り持ち」とはやり手婆、女衒(ぜげん)のことで、売春婦と客の仲立ちをする女。赤い服を着た男は客でコインを、黄色の服の売春婦の手にわたそうとしている。「ハウマッチ?」って具合で交渉中。だが、すでに男の左手は女の乳房に……。その様子を見守る取り持ち女(左から2人目)。

 ちなみに画面左のワインを持ち、視線を正面に向けている男はフェルメールの自画像といわれているが、確証はないそうな。
 なんとリアルな構図なんだろうか。臨場感がありますな。

 Re-create(再創造)とはいえ複製画なので写真撮影OK さらに本物でない気楽さから当方も含め緊張感がなくフェルメール全作品を鑑賞できる稀有な機会だった。

 フェルメール作品「真珠の首飾りの少女」が国立西洋美術館の「ベルリン国立美術館展」(2012613日~917日)で展示中で、いよいよ30日からは東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展」(2012630日~917日)で「真珠の耳飾りの少女」が公開される。
2012626日観覧

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2012年6月24日日曜日

今野敏「黒いモスクワ ST警視庁科学特捜班」

怪僧ラスプーチンゆかりの教会で怪死事件は起きた――。

 今野敏の「黒いモスクワ ST警視庁科学特捜班」(講談社文庫)を読む。STシリーズ第3弾。
 



 警視庁科学特報班の百合根友久と赤城左門にロシア捜査当局と情報交換の命が下った。到着早々、二人はロシア正教会で起きたマフィア怪死事件に首を突っ込むことになった。亡くなったのは新興財閥のヴィクトル・ヴォルコフ。教会は怪僧ラスプーチンゆかりの教会だった。
 一方、STメンバーの黒崎勇治は古武術の美作竹上流のロシア支部指導で、同・山吹才蔵は檀家の招きで、ロシア入りした。
 さらに、ラスプーチンゆかりの教会で日本人フリーライターが変死した……。

×  ×  ×

 怪僧といわれた帝政ロシア末期の祈祷師、グレゴリー・ラスプーチンが登場し、興味がそそられました。もちろん彼が生きて登場したわけでなく、事件の現場となる教会は縁(ゆかり)があったという設定ですが……。

 山田風太郎さんの「ラスプーチンが来た」という小説を読んだことがあります。
 昔のことで何時と特定できず、さらに単行本なのか文庫で読んだかも定かではない在り様です。アルツハイマー気味ですか、ね(笑)。
 明治23年に秘かにラスプーチンが来日したという架空の話で、日露戦争の諜報戦で活躍した、若き日の明石元二郎が主人公でした。乃木将軍、二葉亭四迷、内村鑑三、森鴎外、チェホフなど歴史上の人物が随所にドラマに登場して、わくわくしたことだけは覚えています。

 だから、どうした?
 といわれると、ただそれだけのことです(笑)。
 でも、なにか取っ掛かりがあると小説の興味・面白みは膨らむものですよ(ポリポリ)。

ST警視庁科学特捜班
ST警視庁科学特捜班 毒物殺人
・黒いモスクワ ST警視庁科学特捜班
と、ST初期シリーズを立て続けに読んでみました。
 『推し本』です。
2012622日読了

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2012年6月23日土曜日

インカ帝国展:国立科学博物館

空中都市・マチュピチュを旅する3D巨大スクリーンに釘付け――。

 東京・上野の国立科学博物館の「インカ帝国展―マチュピチュ「発見」100年」(2012310日~624日)に、閉幕間際に滑り込んで観る。
 15世紀前半から16世紀後半に繁栄したアンデス文明最後の国家・インカ帝国は文字文化を持たず、後世に伝わる資料などがほとんど残っていないため、その全貌は謎に包まれていた。本展では、インカ帝国の始まりからスペインに支配されたその後までを、最新の研究成果をもとに総点数160点を展示し、たどる。



本展構成
・プロローグ
・第1部:帝国の始まりとその本質
・第2部:帝国の統治
・第3部:滅びるインカ、よみがえるインカ
・第4部:マチュピチュへの旅
3Dスカイビューシアター「マチュピチュ―太陽の聖地」

×  ×  ×

 楽日まで「あと2日」の駆け込み。
 それでも大盛況でした。
 音声ガイドで説明を聴きながら、出品に近づけず、じっくり観れないことをカバーします。が、展示物より(本末転倒でしょうか)、3Dスカイビューシアターに釘付けになりました。
 特殊メガネをかけて観ると、530インチ横幅13メートルの大画面から世界遺産・マチュピチュが迫ってきました。
標高2400メートル。そのさらに、上空からの視点、まさに鳥の背に乗ったような俯瞰(ふかん)の光景は、現地でも観ることができないでしょう。

マチュピチュを「発見」した米国人の探検家、ハイラム・ビンガムって、映画「インディ・ジョーンズ」のジョーンズ博士のモデルなんですって、ね。初めて知りました。

 もうひとつ認識を新たにしたことがあります。高校の世界史授業では、インカ帝国は1533年スペイン人フランシスコ・ピサロの侵略により、13代王アタワルパが処刑され、実質的に消滅したと習いました。おぼろげですが……。そう思っていましたが、征服された後も都クスコにインカ族の末裔は集住し、植民地時代にもインカはそこここに息づいていたようです。

 インカ帝国が繁栄したのは、15世紀前半から16世紀後半です。日本でいえば室町時代です。室町は、1336年足利尊氏が建武式目を制定し、1338年に征夷大将軍に任じ、157315代将軍の義昭が織田信長によって京都から追放されるまでの237年間の時代です。

 先のNHK大河「江」では、尾羽うち枯らして京を去る足利義昭を和泉元彌が演じていました。義昭は本能寺の変で信長が没し豊臣の世になってからも元将軍(大名)として遇されました。

 それに比べアタワルパの最期はなんと悲惨だったことか。
 時代に終焉を告げたトップ2人の運命の差異を感じたのでありますな。

 
×  ×  ×

インカ帝国の栄華を残す空中都市・マチュピチュは100年前のこと。
 19911724日。米国人の探検家、イェール大学のハイラム・ビンガム(1875年―1956年)が初めてマチュピチュの地に足を踏み入れた。ビンガムの「発見」は、世界中に評判を呼び、瞬く間に「謎の空中都市」は喧伝された。
 マチュピチュの人口は最大でも750人と推定され、王族や貴族の離宮だった。
※ビンガムより以前にペルー人によって発見されていたという説もある。1911年は明治44年。
2012621日観覧

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2012年6月17日日曜日

父の日の 万寿に顔が ほころびる

「千寿」から最高峰へ――。

娘夫婦から久保田の「萬寿」のプレゼントがありました。
いつも晩酌は「千寿」です。
特別の日にグレードアップして最高峰へ。
勝手知ったる婿と娘の心遣いが痛み入りますなぁ。
感謝そして多謝。
気分爽快の朝を迎えましたぞ。

6月の第3日曜日は「父の日」。
2012年(平成24年)は617日。
「母の日」と比べ影の薄い記念日ですが、
日本でもやっと定着していた感がします。

・日本酒
という言葉に少し抵抗感がある。
「酒」といえば、Japanese sake に決まってらぁ。

・日本そば
「蕎麦(そば)を食おうや」というと、
「日本そばですか?」なんて輩(やから)まで……。
「蕎麦」といえば、そばの実で作った麺「蕎麦」に決まってらぁ。

「はんちく野郎」が多くなって、
とかく古い奴は、住みにくくなりやした。
せっかくの気分のいい朝なのに、
怒るなんて……
おいらもとんだ「とんちき」だ(笑)。

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2012年6月16日土曜日

今野敏「ST警視庁科学特捜班 毒物殺人」

テトロドトキシンによる二つの変死体
 今野敏の「ST警視庁科学特報班 毒物殺人」(講談社文庫)を読む。ST警視庁科学特捜班シリーズの第2弾。



東京・新宿の代々木公園で若い男の変死体が見つかった。そして世田谷公園でも変死体が……。解剖の結果、二つのは死因はいずれもテトロドトキシン(フグ毒)によるものだった。
 一方、キャリアの警部・百合根友久率いるST科学特捜班は、財政逼迫の折、経費削減案として班の廃止が検討され出した。ST存続のためには、手柄が欲しい百合根であった。
 二つの事件を追う科学特捜班に、かすかな手掛かりとして人気女子アナ八神秋子の存在が浮かび上がった。

×  ×  ×

河豚(ふぐ)は大阪で「てっぽう」っていいますな。
「鉄砲」は「当ると死ぬ」という、いかにも大阪人らしい洒落っ気からの別称。
「てっちり」は鍋で、「てっさ」は刺身。

大学生のとき、大阪で初めて「てっちり」をいただきました。
通天閣界隈で。
真夏のことで、「てっさ」はなかったのだろうね。
46年前のことです。
美味かった、という記憶は鮮やかに残っています。

河豚は食いたし命は惜しし――。
ふぐは肝臓や卵巣に「テトロドトキシン」という毒を持っていることは周知の事実です。
12mgで致死量となり、経口摂取では青酸カリの約850倍の猛毒だそうな。
2012610日読了

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2012年6月14日木曜日

松島や ああ松島や 松島や

大自然の美に俳聖も圧倒されたのでは……。

球聖といえばタイ・カッブ。
楽聖といえばベートーベン。
そして、俳聖といえば松尾芭蕉。

俳句の第一者、芭蕉の代表作といえば「奥の細道」となりますが、
「奥の細道」には、松島を詠んだ芭蕉の句はないそうな。

松島の絶景に匹敵する句が浮かばなかったのか、
詠んだが、その句の出来に俳聖のプライドが許さず記載しなかったか。

この奥羽・北陸の旅に同行した門弟の河合曽良が、
『松島や 鶴に身をかれ ほととぎす』という句を残しています。

件(くだん)の『松島や ああ松島 松島や』の芭蕉作は俗説(偽説)とか。
江戸時代後期、相模の狂歌師・田原坊さんって方が創った
『松島や さて松島や 松島や』が後世に芭蕉作と誤伝されたようですな。

×  ×  ×

松島はあいにくの雨でした。
610日早朝、午前5時前。
泊まった宿「一の坊」の温泉に浸かりながら、松島湾に点在する島々を眺めました。
小雨に煙る島影はまさに一幅の水墨画を思わせる風情でした。
なんと贅沢な時――。

芭蕉が松島を訪れたのは、323年前の同じ時期。
元禄2年(1689年)59日。
新暦なら625日とか。
快晴と伝えられています。
眼前にとてつもない松島の絶景が広がったことでしょう。
圧倒的な美しさ。
大自然美との対峙――。
俳聖は勝負を避けたのだと想像します。

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2012年6月12日火曜日

独眼竜に想いを馳せて瑞巌寺

慶長遣欧使節が持ち帰ったガラスのろうそく立てが……。

♪松島の サーヨー
 瑞巌寺ほどの 寺もないとエー
 ガキのころから耳にした民謡「斎太郎節」の唄い出しである。

 アラカンといえば鞍馬天狗。勝新といえば座頭市。渥美清といえば寅さん。ゴホンといえば龍角散(ちょいと違う?)。
 そして、松島といえば瑞巌寺。日本三景・松島観光には外せぬ定番スポットである。


 瑞巌寺は宮城県宮城郡松島町に在る臨済宗妙心寺派の寺で、詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺。平安時代の天長5年(828年)の創建で、宋派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。
 戦国時代に一時荒廃していたが、江戸の初期、慶長14年(1609年)伊達政宗が5年の歳月をかけ再建した。桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のもの。以後、伊達家の菩提寺と栄えた。(この段落記述はパンフレット、ウィキペディア参照)

現在、平成の大改修中とかで、国宝の本堂・重要文化財の御成門などは拝めないが、庫裡(国宝)、大書院、陽徳院御霊屋が特別公開されていた。
大書院には、2mほどもある巨大な政宗の位牌はじめ伊達家歴代藩主のものが鎮座していた。陽徳院御霊屋は政宗の正室、陽徳院田村氏愛姫(めごひめ)の墓堂で、金箔貼りの豪華絢爛だった。
政宗の墓所は仙台市青葉区の瑞鳳殿に、位牌は松島の瑞巌寺にある。

 興味深い一品が宝物館に出遭った。
 ガラス製品(ろうそく立て)が展示されていて、説明文を読むと慶長遣欧使節がスペインから持ち帰ったといわれる、とあった。
 慶長18年(1613年)伊達政宗は、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正史、支倉常長(はせくら・つねなが)を副使として、エスパーニャ王国(スペイン)の国王フェリペ3世とバチカンのローマ教王パウルス5世に使節を派遣している。世にいう「慶長遣欧使節」である。政宗は徳川家康から「外交権」を得て、貿易を目論んだ。したたかな為政者の顔がのぞく。

 そぼ降る小雨のなか瑞巌寺を観て、政宗に想いを馳せた。
 仙台市の仙台市博物館には伊達氏、仙台藩、慶長遣欧使節の資料が充実しているそうな。機会があれば、ぜひ観たいものだ。

201269日観覧

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