毎日(現ロッテ)などで活躍し、2度の首位打者に輝いた伝説の強打者、榎本喜八(えのもと・きはち)さんが亡くなった。2012年3月14日のことで、75歳だった。※以下敬称略
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伝説男・榎本喜八の凄さを物語るエピソードを紹介したい。
問矢福雄(といや・ふくお)というロッテ・オリオンズに在籍したプロ野球選手を知っているだろうか。知っている方はかなりの野球通だろう。
二松学舎大付属高校から1969年ドラフト4位でロッテ入り。1974年の広島でプレーを最後に引退した左打ちのパンチ力のある一塁手。通算3年の成績は、1割3分2厘、本塁打1本。未完の大器だった。
1981年ころ、現役引退後にサラリーマンをしながら草野球を楽しんでいた問矢と、出くわした。
私は1972、1973年の2年間ロッテ担当記者を務めたことがある。その時、榎本喜八の打撃を彼が語ったのだ。
彼がロッテ入団した1970年(昭和45年)。
荒川区南千住の本拠地・東京スタジアム。
大映の永田雅一が私財を投げうち建てた球場。
峠を越えた榎本だったが、そのフリー打撃に戦慄したという。
榎本の打球は90%超の確率で東京スタジアムの右中間スタンドに突き刺さった。
完璧なスウィングで正確にミ―トされた打球はすべて弾丸ライナーであった。打ち損じなし。
なにやら真剣で稽古をする剣豪の趣きだった。
プロ野球選手とはこんなにも圧倒的な技術を磨きあげた存在なのか。
東京スタジアムは左中間、右中間にふくらみがない本塁打量産球場といわれた。
フリー打撃は打者の調整練習であり、打ちやすい球を打撃投手が投げるのが一般的である。だが、しかし……。
ほとんど完璧にスタンドに入れる選手など聞いたことがない。
「打撃の神様」といわれ絶好調時には球が止まって見えた川上哲治でも、なしえない境地ではないか。
神の領域に限りなく近い男だった――といったら、言い過ぎだろうか。
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*榎本喜八の通算成績
18年間・2222試合 9002打席7763打数2314安打 打率2割9分8厘 246本塁打 979打点・2000本安打は最年少31歳7カ月で達成(日米通算ではイチローが上回る)
殿堂入りを果たしても文句のない実績なのだが……。
伝説の野球人がまたひとり消えた。
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