2011年7月19日火曜日

秀吉の子・拾誕生:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第27回=秀勝の遺言)
そなたは豊臣の跡継ぎじゃ。
関白になるのじゃぞ。
そうか、もう関白はおったのじゃった。
豊臣秀吉(岸谷五朗)は、淀(宮沢りえ)との間に生まれたばかりの拾(ひろい)を愛おしそうに見つめ語った。その目に不気味な光が……。

文禄2年(1593年)8月、淀は第2子・拾(のちの秀頼)を出産した。天正17年(1589年)に第1子・捨(すて)が生まれたが、天正19年(1591年)に夭折している。
捨の死後、関白を甥の秀次(北村有起哉)に譲った秀吉だが、諦めかけていた子が授かり「関白の座を拾に」との考えが頭をもたげた。
それが、「秀次事件」へと発展する。

×  ×  ×

細川ガラシャ(ミムラ)が、ドラマでは夫・秀勝を亡くした江(上野樹里)を慰めに訪れました。史実では、ガラシャの夫である細川忠興は、秀勝ともに朝鮮出兵しています。縁があったのですな。
ガラシャといえば、その見事な最期で知られます。
関ヶ原の戦いで、西軍の石田三成が徳川方に与した大坂・玉造の細川屋敷を包囲します。そのときガラシャは自害します。38歳でした。
その辞世の句――散りべきとき知りてこそ 世の中の花も花なれ人も人なれ
菅直人さんの退陣を促した民主党のどなたかが引用していましったけ(笑)。

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