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千葉定吉は千葉周作の弟で『小千葉』と言われた北辰一刀流の剣豪だった。佐那(さな子)は二女だった。定吉の道場は桶町にあった。周作の開設したのが有名な玄武館。日本橋品川町にあり、後に神田お玉ケ池に移転した。
三波春夫の「大利根無情」(作詞・猪又良、作曲・長津義司)の台詞に出てくるので、「お玉ケ池」の馴染みを感じる。玄武館で名を馳せた剣士も渡世人の用心棒に身を落とした。利根の川原では、よしきりが我が身を責めるように鳴いている。江戸の方角、西空に茜雲がたなびいている。
『思い出すな……。お玉ケ池の千葉道場か。平手造酒も今じゃやくざの用心棒…人生裏街道の枯落葉か』――なんちゃって、ね(笑)。
幕末の三大道場といえば、玄武館のほかに練兵館と士学館がある。
練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が開設した。桂小五郎(木戸孝允)は塾頭だった。士学館は鏡新明智流の桃井春蔵が開設した。龍馬の友、武市半平太は士学館で学んでいる。『位は桃井、技は千葉、力は斎藤』と三者三様に剣技の持ち味を評された。
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「龍馬伝」は大三菱の創業者、岩崎弥太郎の視点から坂本龍馬の生きざまを描いている。ドラマは高知県土陽新聞社の記者、坂崎紫瀾が明治15年(1882年)、郵便汽船三菱の社長・岩崎に龍馬について取材するところから始まった。
龍馬を描いた最初の伝記小説「汗血千里駒」は、坂崎紫瀾の手で明治16年から土陽新聞で連載された。坂崎はペリーが来航した嘉永6年(1853年)の生まれで、大正2年(1913年)に没した自由民権運動家であったが、人材多彩な幕末の人物列伝のなかで最初に龍馬を見出した御仁であることを認識したい。
龍馬は、坂崎が目を付け、司馬遼太郎の筆による「竜馬がゆく」で日本史上最も愛されるヒーローになったと言える。ちなみに「竜馬がゆく」は数多い司馬作品のなかで最大のベストセラーで、現在までの2,000万部を超えて発行されている。
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