こまどり・島倉・ちあき
石本美由起の告別式の模様を映し出したテレビの芸能ニュースで、久々にこまどり姉妹の姿があった。ふたりは古希を過ぎただろうか。昭和30年代の、三味線の撥(ばち)を力強く叩く、はちきれんばかりの面差はさすがになかったが、恩師を失った悲嘆の表情のなかにも凛とした雰囲気を漂わせていた。
岡晴夫、美空ひばりを語れば、石本美由起は欠かせない。こまどり姉妹もまた、恩人である。
こまどり姉妹、並木栄子と葉子の双生児は1938年(昭和13年)北海道厚岸生まれで、育ったのは樺太(サハリン)であった。敗戦後に引き揚げ、北海道を転々し、1951年に上京、浅草近辺で流しをしていたところをコロムビアにスカウトされた。
デビュー作は浅草姉妹。1959年(昭和34年)、作詞・石本美由起、作曲は遠藤実である。
♪なにも言うまい 言問橋の
水に流した あの頃は
浅草を根城する流しの姉妹を題材とし、実生活を一部重ね合わせた詞となっている。
この続編にあたる三味線姉妹(作詞・作曲とのみ遠藤実)がある。石本の詞ではないが、記しておく。♪お姉さんのつまびく三味線に 唄って合わせて今日も行く
路地裏の屋台ののれんをくぐる姉妹の姿が浮かぶ。
北海道を舞台にした詞もある。ソーラン渡り鳥だ。作詞・石本美由起、作曲・遠藤実で1961年の作品。
♪津軽の海を 越えて来た
ねぐら持たない みなしごつばめ
民謡「ソーラン節」を挿入した曲となっている。
浅草、北海道、姉妹、三味線、渡り鳥――が、こまどり姉妹のキーワードとなった。ふたりがデビューを飾り、ヒット曲を連発した功労者は、石本美由起であり、遠藤実であった。
島倉千代子の「逢いたいなァあの人に」「東京の人よさようなら」は1961年の石本の詞。
♪逢いたいなァ あの人に
子供の昔に 二人して
一番星を エー探したね
作曲は上原げんと。
♪海は夕焼け 港は小焼け
涙まじりの 汽笛がひびく
「東京の人よさようなら」の作曲は竹岡信幸。いずれの2曲も島の娘をテーマにしている。
今や伝説の歌手となった、ちあきなおみの演歌2曲がある。いずれも作曲・船村徹で、作詞はもちろん石本である。
♪明日のゆくえ さがしても
この眼に見えぬ さだめ川
「さだめ川」は1975年(昭和50年)の作品で、翌年の「矢切の渡し」は内容的にも姉妹曲である。
♪「つれて逃げてよ‥」
「ついておいでよ‥」
夕暮れの雨が降る 矢切の渡し
「矢切の渡し」は「酒場川」のB面として発売されたが、1983年になって細川たかしがカバーして大ヒットし、レコード大賞に輝いている。また、翌1984年も五木ひろしの「長良川艶歌」で、石本は2年連続のレコード大賞曲の作詞家として名を連ねる。
美空ひばりらの歌手ばかりでなく、石本美由起は古賀政男、上原げんと、船村徹、遠藤実らの作曲家との出逢いにより、名曲を後世に伝えることになる。人の縁に恵まれた作詞家の人生であった。(完)
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「矢切―」は、ちあきなおみの歌唱がいいなぁ。定番 歌カラ ベスト3 喝采/矢切の渡し/さだめ川
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