2008年9月25日木曜日

756号が飛んできた!

王貞治の辞任

 博多の夜が咽(むせ)び泣いた。

 せめて勝っていたら‥‥。勝って終われらせてあげたかった。
昨日から新聞を読みテレビを観ながら、涙が出てならない。堪(こら)えると、今度は鼻水が止まらなくなった。歳をとると、どうもシマリがなくなってけねぇや。

 2008年9月23日に辞任を表明したプロ野球福岡ソフトバンク・ホークスの監督、王貞治(68)は翌24日本拠地福岡ヤフードームでの本拠地最終戦に臨んだ。試合はオリックスに1―4と、ラストゲームを飾ることはできなかった。
 試合後、集まった観衆3万5526人に辞任を報告した王は、ナインから胴上げされ、美しく舞った。そして去った。

 通算本塁打数868本を記録し「世界の王」といわれた栄光の現役22年、日本一2回、世界一(WBC)1回を成し遂げた監督19年――これが、不世出のプロ野球人の最後のユニホーム姿なのだろうか。

×  ×  ×

 あれは1977(昭和52)年9月3日だった。あのとき、球史に残る打球は、目の前に飛んできた。
 後楽園球場で行われた巨人―ヤクルト戦。王はヤクルトの鈴木康二朗からハンク・アーロンの持つ世界記録を破る756号を右翼席に叩き込んだ。
 当時担当のヤクルトは優勝争いからはずれ、注目は王の世界記録一色だった。担当球団の取材を離れ、右翼席に世界新の本塁打が放たれることを予想して、試合開始から陣取っていた。そこに756号が飛んできたのだった。
 打球を捕った(拾った)男性は、歓喜のファンが殺到し、もみくちゃになった。
 その男性は、スタッフに護られて球場事務所に駆け込んだ。貴重なホームランボールを渡し、その替わりに記念品と王のサイン入りボールと色紙を手にした。
 汗びっしょりの取材だったと、記憶している。

 打たれた鈴木康二朗は奮起して、翌1978年13勝を稼ぎ、ヤクルト球団史上初めてのリーグ優勝・日本一に貢献した。近鉄に移籍後も救援投手として活躍した。

 後楽園球場には、世界新の打球が落下した右翼席の地点に記念のモニュメントが設置された。現在は、東京ドーム内の野球博物館に飾られている。

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