昭和32年編
1957年・1958年にかけてスターからカリスマに成長した石原裕次郎を特集したが、今回は裕次郎を除く1957年・昭和32年編を書きたい。
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スーパースターの蕾(つぼみ)がいた。
早稲田実業高の2年生・王貞治である。後に読売ジャイアンツに入団し、868本の通算本塁打を記録して「世界の王」となったのは周知の事実であるが、有名球児―巨人入団への足掛りとなった「甲子園の王」を書く。
昭和31年第38回高校野球選手権大会(夏の甲子園)に王貞治は1年生ながら外野手兼投手として出場した。当時の全国での予選は1,739校が出場し、晴れ舞台・甲子園へ23校が駒を進めていた。王にとって初めての甲子園である。
早稲田実は初戦の新宮(和歌山)を大井の好投で2-1と下し、迎えた2回戦で岐阜商(岐阜)と対戦した。相手の岐阜商には大会屈指の左腕、清沢忠彦(慶応大)がいた。宮井勝成監督(後に中央大監督)は1年生の王をマウンドに送った。
王は制球に苦しみ4回途中で6点を失い、KOされた。球威はあるものの四球から自滅した。試合も1-8の大敗だった。徳武定祐(早稲田大―国鉄)、醍醐猛夫(毎日)、王という大型打者を揃えた早稲田実業打線も好投手清沢の前に沈黙した。
帰京した王に宮井監督はノーワインドアップ投法を試みる。甲子園での不出来な内容原因は制球難にある。宮井は大型左腕・王を擁して全国制覇の夢を描いていた。剛球と長打力を兼ね備えた王のような球児は、めったに現れないことは承知していた。千載一遇の好機の到来と踏んでいた。
宮井は名伯楽と言われ、早稲田実業で徳武、醍醐、中央大に移ってからも武上四郎(ヤクルト)、末次利光(読売)、高橋良昌(東映―読売)、高木豊(横浜)など名選手を輩出している。選手の鑑定眼は確かである。
両手を大きく振りかぶって投げるワインドアップに対して、両手を胸のあたりに置き、振りかぶらず投げる方法をノーワインドアップといい、ワインドアップに比べ球威は落ちるが、制球がまとまるのが利点の投法である。
秋から冬とノーワインドアップ投法に磨きをかけた王は、2年生となり選抜大会と選手権大会に春夏ともに甲子園に駒を進めることになる。昭和32年のことだ。
同年の第29回選抜大会(出場20校)に出場した早稲田実業2年生の王はエースで4番の中心選手だった。新投法が冴えた。初戦の寝屋川(大阪)を1安打完封の1-0で下した。準々決勝の柳井(山口)を4-0、準決勝の久留米商(福岡)を6-0と3試合連続完封を果たした。
決勝は高知商(高知)と対戦となった。相手のマウンドには左腕の小松俊広(読売)がいた。王は久留米商戦で左手中指の爪を割り、投げたボールの血の跡は見えるほどだったが、8回に3点を失ったものの気力をふりしぼり完投を果たした。紫紺の大旗を初めて関東にもたらした。「血染め」の日本一であった。
その年の夏の選手権大会(全国予選1,769校・出場23校)では、初戦(2回戦)の寝屋川(大阪)戦では1-0、延長11回ノーヒットノーランの離れ業をやってのけた。準々決勝の法政ニ(神奈川)には1―2の惜敗を喫した。深紅の大旗は広島商に輝いた。
昭和33年の春の選抜大会(出場30校)では、初戦(2回戦)の御所実業(奈良)、準々決勝の済々黌(熊本)に2試合連続の本塁打を記録し、後の世界のホームラン王の片鱗を見せたのだった。
ちなみに同年夏の東京大会は明治高と決勝で対戦、延長12回5-6と逆転負けを喫し5季連続の甲子園出場の夢を絶たれた。
当時、野球と映画が最大の娯楽であった。草野球音は野球少年であり、映画好きだった。早実の王は憧れだった。王が読売入団し、物になったのは4年目(1962年)で「一本足打法」を早稲田実業の先輩である荒川博コーチにすすめられ採りいれ、38本塁打、85打点で2冠を獲得したことが契機になった。「ノーワインドアップ投法」「一本足打法」と、王は「変則」技術で大成への道を歩んだ。
プロ野球はセ・リーグが読売ジャイアンツ、パ・リーグは西鉄ライオンズが優勝し、日本シリーズは西鉄が稲尾和久の活躍で日本一を制している。シリーズMVPは大下弘(西鉄)だった。
・昭和32年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=与那嶺要(巨人)・稲尾和久(西鉄)
新人王=藤田元司(巨人)・木村保(南海)
首位打者=与那嶺要(巨人)・山内和弘(毎日)
本塁打王=青田昇(大洋)佐藤孝夫(国鉄)・野村克也(南海)
打点王=宮本敏雄(巨人)・中西太(西鉄)
最優秀防御率=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最多勝=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最優秀勝率=木戸美摸(巨人)・稲尾和久(西鉄)
昭和32年の日本映画の佳作を挙げる。
寡作の黒澤明監督(1910年―1998年)が珍しく「蜘蛛巣城」(東宝)「どん底」(東宝)の2本も撮っている。いずれも主演は三船敏郎(1920年-1997年)である。
灯台を守る夫婦(佐田啓二と高峰秀子出演)を描いた「喜びも悲しみも幾年月」(松竹・木下恵介監督)が印象に残る。
♪おいら岬の 灯台守は
と、声量豊かに歌う若山彰(1927年―1998年)はヒットした。木下恵介(1912年―1998年)の実弟・木下忠司が作詞・作曲を手がけている。その他では「米」(東映・今井正監督)=江原真二郎出演、などがある。
洋画では、「道」(フェデリコ・フェリーニ監督)、「翼よ!あれが巴里の灯だ」(ビリー・ワイルダー監督)=ジェームス・ステュワート出演、「戦場にかける橋」(デビッド・リーン監督)=ウィリアム・ホールデン出演、などがある。
昭和32年編は2回に分けて記述します。
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
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