2007年9月26日水曜日

大蔵貢から近江俊郎

 連想は大蔵貢から近江俊郎へとさらに続く。
 ハマの隠居、草野球音は川崎生まれ。生家は商店街にあり、徒歩3~5分の範囲に3つの映画館があった。東映と日活、大映と東宝、松竹と新東宝というセットで上映する二番館であった。パチンコ屋も3,4軒あり、子供の育つ環境としてはけしてよくはないが、そんな街を愛していた。小学校4年生ぐらいからひとりで映画を観に行くませた餓鬼だった。蜘蛛巣丸太の主の生い立ちがこの連想ゲームの背景にあるのだ。
 6つの会社の映画を観ていたわけだが、子供心にも新東宝の作品はなんとなく安直で、あざといものが多い印象で、とりわけ前田通子、三原葉子、万里昌代らのバンプ女優*の作品は劣情をそそるものがあった(笑い)。

 さて「妾(めかけ)を女優にした」発言の名物社長である大蔵貢の実弟が近江俊郎である。1918年(大正8)―1992年(平成4)。歌手であり、作曲家であり映画監督であった。 往年の大スターでありながらも気さくな性格が茶の間に受け、晩年は歌番組の審査委員などで活躍した。戦前からの歌手で、古賀政男門下生で「湯の町エレジー」をはじめ「別れの磯千鳥」のヒット曲を残している。岡晴夫、田端義夫と戦後三羽烏といわれた。

 映画監督として24本の作品を作っている。なかでも球音少年が好んだのは高島忠夫主演の「坊ちゃん」シリーズといわれる喜劇物だ。「坊ちゃんの逆襲」「坊ちゃんの特ダネ記者」「坊ちゃんとワンマン親爺」、由利徹*主演の「カックン超特急」などを撮っている。

 近所に3つあった映画館だが、まず最初に閉館となったのは「松竹と新東宝」を上映していた小屋だった。木久扇から端を発した連想ゲームは今回で終わり、日本映画の話はまたの機会に回したい。

バンプ女優:男を惑わす女。専らそのような役をする女優。
由利徹(ゆり・とおる):喜劇俳優。1921年(大正10)―1999年(平成11)。南利明、八波むと志と脱線トリオを結成、人気を博す。「カックン」「おしゃまんべ」など当たりギャグがある。

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