*フォークの神様と異名をとった中日ドラゴンズの名投手 杉下茂さんが12日亡くなった。97歳だった。
× ×
フォーク杉下vsジャイアント馬場
:レジェンドの交差点___(敬称略)
1957年(昭和32年)10月23日
後楽園球場 ダブルヘッダーの第1戦
セ・リーグ優勝を決めた読売ジャイアンツ水原円裕(茂)監督は消化試合に、期待の身長2メートル馬場正平(後の東洋の巨人プロレスラー ジャイアント馬場)をプロ初先発に起用すれば、中日ドラゴンズ天知俊一監督は200勝に王手をかけたベテラン杉下茂をマウンドに送った。
野球小僧だった私は小学4年生、まだ家にテレビがなかった。近所の電気屋さん店前の街頭テレビで真剣に視ていました。記憶に残っています。ジャイアンツファンで馬場を応援していましたっけ。
巨人スタメン
(遊)広岡達朗
(ニ)内藤博文
(右)坂崎一彦
(左)宮本敏雄
(中)岩本尭
(捕)藤尾茂
(一)岩下守道
(三)土屋正孝
(投)馬場正平
オーダーでお気づきだろう。長嶋茂雄も王貞治も見当たらない。長嶋登場は翌1958年、王は1959年の入団を待たなければならない。
中日の当日スタメンは残念ながら調べきれなかったが、以下のメンバーでシーズンを戦っていた。
(中)本多逸郎
(三)岡崎博治
(ニ)井上登
(一)西沢道夫
(右)原田督三
(左)杉山悟
(遊)牧野茂
(捕)吉沢岳男
(投)中山俊丈
大矢根博臣
両軍オーダーに懐かしい顔ぶれが並んでいますね。
さて試合は杉下と馬場が好投、投手戦となったが、5回1失点で馬場が降りると、中日打線が爆発し10-0でドラゴンズが勝ち、杉下が200勝目を飾った。
杉下茂の通算成績
525試合215勝123敗 防御率2・23
馬場はプロレスラーとして巨体を生かし大成したが、この試合がプロ野球最後の登板となった。
馬場正平の通算成績
3試合0勝1敗 防御率1・29
200勝達成とプロ野球で唯一痕跡を残した1敗___
レジェンド二人が交差した一瞬を心に刻み込みたい。
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