*野球少年だったし、巨人ファンだった。
TVで観てたけど、あれはストライクだったなぁ。
ストライクで南海がシリーズ2勝2敗のタイとなったら……死んだ子の歳を数えるようだ。そういえば、スタンカさんは在日中に長男を事故で亡くす悲しい出来事を経験した。
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訃報 :ジョー・スタンカさん 87歳=南海、大洋投手7年100勝72敗 防御率3.03 2018/10/15死去
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1961年(昭和36年)巨人-南海の日本シリーズ。
巨人2勝1敗で迎えた第4戦(後楽園球場)。スコア3-2で南海1点リードの9回裏1死一塁。南海鶴岡一人監督はジョー・スタンカ投手をマウンドに送った。その年20勝を記録したエース杉浦忠が終盤に右肩の不調(痺れ)で戦慄離脱、1戦・3戦に先発した身長196センチの剛腕に頼よらざるを得ない。
スタンカは1番国松彰を一ゴロに打ちとり2死。
勝利まであとアウト1つ。
勝利まであとアウト1つ。
だが、しかし、そうは問屋が卸さない。
ここから悲劇が始まった。
2番高林恒夫の代打藤尾茂が打ち上げた飛球を一塁手寺田陽介がグラブにあてながらも落球した。3番ご存知長嶋茂雄の三塁強襲する当たりを小池兼司がハンブルし内野安打とし、2死満塁。
打席に4番ハワイ出身で愛称エンディ、宮本敏雄を迎えた。
2ストライク1ボールと追い込み、外角低めに投じた運命の4球目。
捕手野村克也はミットに収め、ストライク(勝利)を確信して腰をあげたが、球審円城寺満はボールと判定した。野村はマスクをたたきつけ激怒、血相を変えてスタンカがマウンドから駆け下り、鶴岡監督以下南海勢が猛抗議したが、判定は覆りはしない。
悶着後、投じた5球目を宮本に右翼の流され、三塁走者渡海昇二に続き二塁走者藤尾がホームを踏んで、悪夢の逆転サヨナラ負けを喫した。そのときホームにバックアップに入ったスタンカは円城寺に体当たりし吹っ飛ばしている。
試合が終わっても騒動は収まらず、円城寺に南海勢が詰め寄るなど、不穏な空気が流れた。
この日本シリーズは5戦を6-3と勝利したものの、舞台を大阪球場に移しての6戦にスタンカはリリーフで4試合目の登板し、延長10回坂崎一彦に決勝打を許してしまう。南海は敗れた。
スタンカが宮本に投じた、あの4球目の判定がシリーズの流れを変えたのかしれない。
円城寺 あれがボールか 秋の空__
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