*1987年に当時の連続試合出場の世界記録を塗り替え、鉄人と呼ばれたプロ野球広島の衣笠祥雄さんが24日亡くなった。71歳だった。(以下敬称略)
1987年6月11日__あの夜を忘れない。
広島の衣笠祥雄が広島ー大洋戦(広島)でルー・ゲーリックの持つ連続試合出場の世界記録2130に並んだ。
その日がなぜ?
日刊スポーツ編集局は、この世界タイ記録を1面から中面まで詳らかに伝える準備をしていた。そろそろ整理部では最終版の組版作業に入る直前だった。
事件は起こった。
熊本藤崎台球場の巨人ー中日戦7回、頭部の死球に激高したウォーレン・クロマティが、マウンドの宮下昌巳投手に突進、右パンチを画面に見舞ったのだ。
その光景をテレビ中継で映し出された直後、
「1面クロマティ」の紙面ガラリ変更、
編集局次長Yの大号令がかかった。
「2、3面ワイドは衣笠で行きたい」
整理部デスクのアタシも食い下がったが、ダメだったなぁ f^_^;)
衣笠は4、5面に追いやられてしまった。
1面クロマティは致し方なし。
でもね、“鉄の馬”Iron Horse ゲーリックに並ぶ連続試合出場も重い。王貞治がベーブ・ルースの本塁打数714号に並んだときと比べても遜色ない偉大な記録だと思う。
世界記録がパンチ一発でかすんだ夜だった。
× ×
死球といえば、衣笠祥雄の生涯死球数は161(歴代3位)。
連続試合フルイニング出場を続けていた1979年8月1日の巨人戦で、西本聖から死球を受け、
肩甲骨を骨折。フルイング出場は途絶えたが、翌日の試合に代打出場し、江川卓投手の前に3球フルスイングで三振に倒れた。
そのときのコメントが泣かせる。
「1球目はファンとのため。
2球目は自分のため。
3球目は西本くんのためにスイングしました」
死球を受けても投げた投手を気遣うように、「大丈夫」と手を上げて一塁に向かう姿が美しかった。あれぞ球侍(たまざむらい)。
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