2014年5月13日火曜日

跛行を突いて中尊寺 金色堂

*総花の誘惑を捨てれば1点絞りのピンポイントとなる__。

* 五月雨の降りのこしてや光堂  
* 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡



間欠跛行を突(つ)いて世界遺産 平泉を旅しました。軽度ながら治療中の脊柱管狭窄症のため長くは歩けません。ということで、あれもこれもというわけには行きません。観たいものはたくさんあるが、とにかく捨てられぬ1点まで絞りに絞る。

総花の誘惑を捨て1点重視 ピンポイント__。

世界遺産 平泉の旅となれば、
中尊寺の金色堂となります。

東北新幹線の一ノ関駅から義息の運転するレンタカーで中尊寺へ。参道の月見坂を歩く。樹齢300余年の杉の大木が坂道の両側に続く。江戸時代に中尊寺を治めていた伊達藩が植樹したそうです。神聖さが漂います。結構な勾配で足に堪(こ)える f^_^;)。

中尊寺本堂をお参りして讃衡蔵(さんこうぞう)をチラリ。いよいよお待ちかね国宝 金色堂です。学生さんやら団体も多く混雑しています。ご存知の金箔貼りの阿弥陀堂。天治元年(1124年)藤原三代の初代 清衡(きよひら)が建立しました。堂の柱には蒔絵や螺鈿(らでん)が施され豪華絢爛そのものです。

清衡、二代 基衡(もとひら)、三代 秀衡(ひでひら)の遺体と泰衡(やすひら)の首級が安置されています。

藤原氏の繁栄も長くは続かなかった。平清盛没後、壇ノ浦で平家が滅亡し、源氏の天下となります。源氏の総帥で兄の頼朝に疎まれた義経は藤原氏 秀衡を頼ります。秀衡も亡くなり衰退化した藤原氏に義経を守る力はなく、泰衡の裏切りにより義経が自刃に追い込まれる。その3ヶ月後、頼朝は奥州を攻め、泰衡の首を挙げ、藤原氏の栄華がここに尽きるのです。

それから500年。元禄2年(1689年)5月、松尾芭蕉は奥の細道行のここらあたりで、「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んだのですな。
* 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有……(奥の細道)
五月雨の__句の石碑は金色堂の脇に建っていました。

平清盛と同い年で北面の武士であった西行法師は20代と60代に2度も平泉を旅しています。金色堂は建立間もない頃で光り輝いていたろう。
西行の平泉の和歌? さて なんて詠んだのだろうか。
浅学で知りません。
芭蕉の句ほど有名じゃないよね f^_^;)。

それにしても金色堂は立派でした。
満喫しました。
足の方もそろそろ限界です。
一路、仙台の奥座敷 作並温泉に向かいます。

2014年5月10日見学 #4
美博の館
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