そなたのおかげで面白かったぞ。
今度こそは、徳川の家で幸せになってくれ。
さらばじゃ、江。
豊臣秀吉(岸谷五朗)が江(上野樹里)に言葉を残した。
秀吉の病状悪化にも見舞いをためらっていた江だが、ついに面会する。「大切なものを次々に奪っていった。あなたを殺したい。病などで死なれては困るのです」と江は、秀吉への複雑な感情を発露した。
が、天下人の秀吉は世を去った。慶長3年(1598年)8月18日。62歳。
慶長2年5月。江は秀忠との子、千を出産した。
慶長3年3月。京の醍醐寺で盛大な花見を開くが、その後、体調を崩し床に伏せった。自らの死期を悟った秀吉は、我が子の秀頼を後継としようと、病床で徳川家康に訴える。
家康は「秀頼さまがご成長あそばしたあかつきには、政事(まつりごと)をただちにお返しいたします」と誓約するのだった。
× × ×
秀吉との別れのシーンで、江がゆかりの人たちを回想しました。
・父の浅井長政(時任三郎)
・母の市(鈴木保奈美)
・養父の柴田勝家(大地康雄)
・2番目の夫・秀勝(AKIRA)
・千利休(石坂浩二)
・秀次(北村有起哉)
みんな秀吉の前に亡くなりました。それぞれの人にドラマがあり、感慨がありましたな。
*秀吉の辞世の句
露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢
※ランキング参加中。クリックにご協力ください。
※こちらもクリックお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿