2011年3月26日土曜日

藤沢周平「逆軍の旗」

信長は光秀を「てろ頭め」と叱責した
 藤沢周平の「逆軍の旗」(文春文庫)を読む。歴史上の人物や事件をもとにした歴史小説が4編収められている。

 表題作「逆軍の旗」は織田信長を討つ明智光秀を描いている。
「われらとは貴様がことか。吐(ぬ)かせ、今度の戦で貴様がどう働いた?」
 光秀はあっと思った。「われら織田の軍勢、多年骨折った甲斐がござっった」。天正10年。織田、徳川軍が甲斐攻めで武田勝頼を討った。上諏訪の法華寺での酒宴の席で、武将たちが口ぐちに嫡男・信忠の戦功を称えたが、光秀は信忠の働きを直線的に褒めることをためらい、「われら織田の軍勢」といった。それが信長の勘に障った。
「目ざわりな、てろ頭め。消えろ」
 比叡山の焼き討ちから信長との乖離を感じていた光秀が、坐して滅びるかあるいは叛(そむ)くか、決断する。

「幻にあらず」は藩政改革を行う上杉鷹山(治憲)の話。
……(竹俣)当綱は十二という年から、別のことを考えていた。
――間に合うか。
 間に合うまい、と当綱は心の中で自答する。米沢藩は、寛文四年に藩主綱勝が急死して、領地は従来の三十万石から十五万石に半減されたが、そうでなくとも豊かではない藩財政は、その後悪化の一途をたどって、いまは破産の寸前にあった。その建て直しとなると、当綱は人にこそ言わね、ほとんど絶望的な見通しを持っている――本文からの引用。
 家老の竹俣当綱の力を借り、若い藩主・治憲が逼迫した藩財政を再建へ着手する。

目次
・逆軍の旗
・上意改まる
・二人の失踪人
・幻にあらず

×  ×  ×

 信長が光秀を叱責するシーン、NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」でも扱っていました。豊川悦司の信長が、市村正親の光秀に「キンカン頭が」と殴っていましたな。

 また、羽柴秀吉の備中への援軍を信長に命じられた光秀が連歌の発句を――「時は今あめが下しる五月哉」と詠んでいますが、この句に天下取りの思惑は隠されているのでしょうか。

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・加藤廣「明智左馬助の恋(下)」2011/2/05
2011年3月26日読了

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