人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を得て
滅せぬ者はあるべきか
――幸若舞の「敦盛」の一節で、織田信長が愛唱していたそうな。
桶狭間の戦を前にした清州城。2万5000の兵を誇る今川義元。信長の軍勢は3000人。圧倒的不利の戦況。その朝、決死の信長が扇を手に謡い舞う――「出陣の舞」(安田靭彦作)など歴史の刻んだ作品を展示した「歴史を描く―松園・古径・靭彦・青邨―」展(2011年1月8日~2月17日)を東京・広尾の山種美術館で観る。
展示構成
・第1章:神話と文学の世界
・第2章:平家物語と武者絵の世界
・第3章:歴史を彩った人々
・第4章:松園が描く江戸のよそおい
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桶狭間は、信長の今川軍を強襲し義元の首を討ち取った日本の歴史上最大の逆転劇により、信長が勝利し、天下取りへ弾みをつけた戦だった。
安田靭彦(ゆきひこ)作「出陣の舞」のほか、信長を題材にしたもう1点、前田青邨(せいそん)作の「異装行列の信長」が展示されていた。
天文22年(1553年)。美濃と尾張の国境。正徳寺。美濃の蝮(まむし)・斎藤道三と女婿の織田信長は初めて対面する。町屋に隠れ覗いた道三に映った婿の姿は、「うつけ者」といわれた男そのものの『異装』だった。髪を萌黄色の紐で結い、帷子の片方の袖を外し、太刀と脇差は縄で巻き、腰には瓢箪や袋を付け、虎と豹の半袴。
ところが、実際の会見の場には、髪を結い直し正装で現れた信長に、道三はその器量の大きさを認めたとか。その異装行列を描いた作品。
秀吉の正室・おね(ねねとも表記され、後の高台院)と側室・淀を描いた北澤映月作の「ねねと淀」、屋島の戦で源義経の命で平氏の軍船に掲げた扇を弓で射った「那須宗隆射扇図」(小堀鞆音作)も印象に残る。
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最近池波正太郎さんの「真田太平記」や加藤廣さんの「信長の棺」「秀吉の枷」など戦国ものを読んでいるためか、信長を題材にした作品に興味を持ちました。
それにしても、異装の信長、戦国きっての審美眼とファッションセンスを持った武将ですな。
2011年1月27日観覧
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