なみだ船そして兄弟船
11月15日――作詞家の星野哲郎さんは坂本龍馬の命日に亡くなりました。
享年85歳の星野さんは、その昔船乗りでした。遠洋漁業の船員時代に腎臓結石を患い下船を余儀なくされました。海への憧れがあったのでしょう。潮の香り漂う作品が多い。独断で3曲選び、口ずさみます。※以下敬称略
× × ×
*アンコ椿は恋の花1964年
離島の伊豆大島では娘さんを「アンコ」と呼ぶそうな。そのアンコが東京の人と恋をした。都はるみが歌いヒットした1964年(昭和39年)当時は、海を隔てた「遠距離恋愛」。ケータイなんてない時代で、手紙のやり取りも3日かかったのですな。
♪三日遅れの 便りをのせて
船は行く行く 波浮港
東京都大島町。れっきとしたアンコは東京都民なのですが……。
都はるみ16歳。うなり節は印象的でした。作曲は市川昭介でした。都のデビュー曲は「困るのことよ」です。
*なみだ船1962年
♪涙の終りの ひと滴(しずく)
ゴムのかっぱに しみとおる
今や歌謡界の大御所・北島三郎の事実上のデビュー曲。作曲は船村徹。
では、本当のデビュー曲は?
「ブンガチャ節」です。作詞・星野哲郎、作曲・船村徹です。「あの娘いい娘だ こっち向いておくれ」とえらく若いサブちゃんが歌っていましたっけ。
「なみだ船」は北海の漁師ヤン衆の歌です。
*兄弟船1982年
♪波の谷間に 命の花が
ふたつ並んで 咲いている
鳥羽一郎のデビュー&ヒット曲です。これも作曲は船村徹。
おやじの形見の船で、漁をする兄弟は、おふくろ思いです。親孝行がしたくて、シケの海にも船を出します。まるで鳥羽一郎と山川豊ですな。ふたりの母親は三重県鳥羽の海女だったとどこぞで読んだことがあります。
「なみだ船」、「アンコ椿は恋の花」、「兄弟船」は北島三郎、都はるみ、鳥羽一郎が世に認められた曲なのです。
潮の香りのする名曲。そして坂本龍馬は「海援隊」、海の男ですね。
星野哲郎は塩歌の達人なのです。
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