太田牛一が謎を解く
加藤廣の*「信長の棺(上・下巻)」(文春文庫)を読む。
本能寺に変で憤死した織田信長の遺骸は、明智光秀の懸命な捜索にもかかわらず発見されなかった。戦国期最大級の日本史ミステリーに、信長の右筆・太田牛一が挑み、信長の遺骸はどこに消えたのか・なぜ秀吉は「中国大返し」ができたのか、秀吉の出自などの謎を解いていく。
太田牛一(おおた・ぎゅういち)の略歴を『ウィキペディア』であたると、
――弓の腕を見込まれ信長の家臣となった戦国武将。文筆に優れ、信長、豊臣秀吉、徳川家康らの軍記を残し、「信長公記」が有名。晩年、大阪天満で隠遁生活をする―とある。
目次:上巻
・第1章 安土脱出
・第2章 市中の隠・太田牛一
・第3章 捨万求一
目次:下巻
・第1章 舟入学問所
・第2章 隠れ里・丹波
・第3章 吉祥草は睡らない
× × ×
加藤廣さんは75歳で「信長の棺」で執筆し、後に「秀吉の枷」「明智左馬の助の恋」と著わした。これを「本能寺三部作」と呼ぶそうな。アラ還などはまだ鼻たれ小僧と、あらためて自覚したしだいです。
2010年11月26日読了
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