ちぎっては投げ、ちぎっては投げ
大沢親分の後釜は江戸っ子エースの土橋正幸さんだった。TBSテレビの日曜日の情報番組「サンデーモーニング」のスポーツ番組に2010年10月17日、張本勲氏とともに出演した。7日に亡くなった大沢啓二氏の後任。張本さんと土橋さんは、東映フライヤ―ズの投打の主軸だった。※以下敬称略
× × ×
※ランキング参加中。よろしければ1日1回クリックしてください。
※こちらも、よろしければ1日1回クリックしてください。
× × ×
土橋は江戸っ子エースである。1935年生まれ。都立日本橋高校卒業後に家業の鮮魚業を手伝っていた。*日本橋で魚屋とくれば「一心太助」だな(笑)=徳川家康が江戸に幕府を開いてから日本橋に魚河岸が設けられた。関東大震災で魚河岸が壊滅状態になり機能しなくなり、築地に移っている。一心太助は架空の人物。3代将軍家光のころ、大久保彦左衛門のもとで活躍した。
その魚屋さんが浅草のストリップ劇場「フランス座」の野球チームの助っ人として東京都の軟式野球大会に出場し優勝してしまう。その気になって東映の新人テストを受けると合格した。21歳。プロ野球に入って初めて硬式ボールを握った男が2年目に5勝をあげ、頭角を現すと、3年目で20勝投手(21勝16敗)の仲間を入りした。*浅草「フランス座」といえば、かの渥美清、萩本欽一、ビートたけしが売れない時期に舞台を踏み、井上ひさしが座付き作家をしていたことで知られる劇場である。井上はその野球部の捕手を務めていたという。
1967年に引退するまで、東映のエースとして20勝以上5度(1960年には30勝)、実動12年で165勝132敗、防御率2.66の通算成績を残している。1962年(昭和37年)は水原茂の指揮のもと東映は初のリーグ制覇を果たした。土橋は17勝(14敗)を記録したものの、新人の尾崎行雄が20勝(9敗)とチーム稼ぎ頭となり、エースとしては物足りなかったのではないか。日本シリーズでは奮起し、3勝を稼ぎバッテリーを組んだ種茂雅之とともにMVPに輝いている。
土橋の全盛時代のピッチングは――ちぎっては投げちぎっては投げ、ストライクをポンポンとる気風のいい投法だった。
衰えがみえると、すぱっと32歳の若さで引退した。このあたりも江戸っ子エースだねえ。
監督としては日拓、ヤクルト、日本ハムで5シーズン務めたが、いずれも成績は5位3回、6位2回と低迷している。
× × ×
テンポよいピッチングが小気味よく、野球小僧の草野球音は好きだったなぁ。
1962年東映日本一。「サンデーモーニング」の張本がペナントレースの、そして土橋が日本シリーズのMVPだったのだ。
土橋さんの次は元ヤクルト監督の高田繁さん、その次がバレーの大古誠司さんとスポーツコーナーの「ご意見番」は代わっています。レギュラー化しない方針なのですかね。
返信削除