歴史的な新発見かも……
これは歴史的な発見かもしれない。
坂本龍馬を慕い彼の紋服の片袖を見つめながら、生涯独身で操を守り通した千葉さな(佐那)の通説はどうやら覆りそうである。
千葉周作の実弟で剣豪であった千葉定吉の娘で龍馬の婚約者であった千葉さなが、龍馬暗殺後に結婚していたという明治期の新聞記事が見つかったという。
千葉さなの結婚が載っている新聞は明治期に年横浜で発行されていた毎日新聞(現在の毎日新聞とは無関係)で、歴史研究家のあさくらゆうが発見し、鳥取藩の文書から結婚相手の藩士の実在が確認されたそうだ。信憑性は高そうだ。
さなの相手は鳥取藩の山口菊次郎という藩士で、龍馬の七回忌後に結婚したが、10年足らずで離婚したという。龍馬の剣の師匠である父親・定吉は結婚に猛反対し「おまえの命はかつて龍馬の霊前に捧げようとしたものではなかったか」と斬ろうとしたという。定吉は鳥取藩の剣術指南を務めていた。
龍馬と千葉家では結婚の約束があった。千葉家からは短刀を、龍馬はなにも持ちわせないので松平春獄から拝領した紋服を贈ったという。さなは紋服の片袖をとり、大切にしていた。
甲府のさなの墓には、「坂本龍馬室」と刻まれている。
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「なみだの操」という演歌がある。殿さまキングスの宮路オサムがこぶしを回していたっけ。作詞は千家和也、作曲は彩木雅夫だ。
♪あなたのために 守り通した女の操
今さら人に 捧げれれないわ
NHK大河ドラマ「龍馬伝」では、『鬼小町』と異名をとる女剣士だが、龍馬ひとすじに想いをかける千葉さなを貫地谷しほりが演じている。
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龍馬は慶応2年(1866年)におりょう(龍)と結婚している。結婚前に伏見の寺田屋で幕吏に襲撃され、そのときの傷を癒すため、おりょうと薩摩の旅に出た。これが日本人初の新婚旅行といわれている。また、初恋の人といわれる平井加尾も同年に西山志澄を婿養子に迎えている。龍馬の結婚を知り、加尾は諦めて結婚を決意したのだろうか。翌慶応3年、龍馬は京の近江屋で何者かに暗殺されている。
龍馬は加尾の結婚は知ったはずである。しかし、千葉さなの結婚は知るはずがないが、知ったら草場の陰で、
「龍馬、まっことショックぜよ」なんちゃってね。
言うわけないか。これまた失礼しましたm(_ _)m
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